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差別解消法
来年度、平成28年4月1日から「障害者差別解消法」が施行される。それに伴って、11月に障害者差別解消法にかかる福祉事業者向けのガイドライン〜福祉分野における事業者が講ずべき障害を理由とする差別を解消するための措置に関する対応指針〜という長ったらしいタイトルのものが出された。
早速に、今月の職員会議で一部抜粋して配布した。差別とはどのような行為なのか、合理的配慮とは具体的にどのような状況を作り出すことなのか、今回出されたガイドラインを読んでみると、それは極々当たり前の事柄であって、特段に改めなければならないわけではなく、より丁寧により細やかに解りやすくしていけばよいことと思えるのだが。

差別とか偏見とかはどこから来るのか、なぜそれは起きるのか。私たちが認識すべきことはまさにそのことではなかろうか。その根幹の所を我々が理解し、取り除く、あるいは取り除けないのなら考え方や形を変えていくことこそが差別をなくする、少なくとも減少させていくことになるのではなかろうか。ではどうやって取り除くあるいは解消するのか。
ある人は、差別や偏見はヒトが持つ心の特徴としてあるもので、それは無くなったのではなく潜在化していて、時にそれが噴き出すことあるのが現実だと言う。ある人は我々は正常でない人を作り出すことで、我々自身は正常な側にいるということを強く確認できるのだと言う。またある人は、社会で価値があるとされるものに応じて、障害が新たに生み出されていると考えるべきだと言っている。いずれにしても自分たちと違う、同じカテゴリーでは捉え難いと感じる者に対して偏見あるいは差別を持つのではあるまいか。
誰もが自分は価値のある存在だと考えているはずで、自分の価値基準から外れたり、自分の理解が及ばないところの人たちに対しては、排除しようとする感情が働くのだと思える。

アメリカ大統領選挙の共和党からの候補、ドナルド・トランプという人が、特定の人たち(イスラム教徒)を対象に国境を閉ざすべきであると主張している。トランプ氏によれば全てのイスラム教徒は「イスラム国」(IS)の予備軍だとしているからである。これはイスラム教徒に対する大いなる侮辱であり、法にも反する差別的言動である。この報道を聞いて私が浮かべたことは、アメリカは移民で構成されている国なのに、かつてアメリカが移民を拒んでいた時期があったこと、長い間黒人を差別的に扱ってきたこと。
それらは皆、自分たちと違うもの、自分たちより劣っていると思うもの、理解できないもの、異質と思うものを排除しようとしてきたことに他ならない。

差別や偏見が全くなくなることは望めないとしても、お互いにその存在を認めあう関係になれないものなのだろうか。異形の者であっても、自分とは全く違う存在であっても、そこに在ることを認め合うぐらいのことはできるのではなかろうか。








 
【2015.12.15 Tuesday 16:23】 author : 長谷川 淺美
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