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新聞記事

1月の末に、読売と朝日新聞に、宮城県在住の軽度の知的しょうがいを持っておられる60代の女性が、国に対して損害賠償訴訟を起こしたという記事が載せられていた。覚えておられるだろうか。

訴訟の理由は、15歳の時に、ご本人の承諾もなく、強制的に不妊手術を施されたことに対するもので、出産の機会を奪われ、人権を侵害されたことに対する国の謝罪と補償を求めたものである。

かつて制定されていた優生保護法について知っている人は少ない事と思うが、1948年に制定され、1996年にこの法律が母体保護法に改正されるまで、優生保護法の中での強制的な不妊手術の規定は生きていたのだ。

優生保護法とは・・? 優生学上での不良な遺伝のある者の出生を防止すること、妊娠、出産による母体の健康維持を目的として、優生手術や人工妊娠中絶、受胎調節などについて規定した法律で、遺伝性の疾患やハンセン病、障害者などを理由に不妊手術や中絶を認めたものである。ここにも優生思想の影響が及んでいた。

 

私がしろがね苑で仕事を始めて間もなくの時期、県内のある会合で耳にした話でとても驚いたことがあった。ある施設の方(事務の方かもしくは施設長と思われる)が、親が自分の娘の不妊手術を施設に依頼してくるという話をされていて、他の施設さんではどうしているのかと問いかけていたのである。今時、そんな話があるとは思えず、とても現実とも思えず、どうして? 何のこと? 噓でしょ!! としか思えなかったのだけれど、この新聞記事を読んで、あの時期、平成3、4年にはまだこの法律が生きていたのだと知った。

 

提訴しているこの女性も、ご自身の身に何が起きていたのか全く分からないままに大人になり、長じてから自分が不妊手術を施されていることを知ったのだろうと思う。それがどれほどに本人にとって惨いことか。彼女が生きてきた時代は、私も共に生きて時間を共有してきた者の一人である。その同じ時間を生きている者として何とも言いようがなく、辛い想いがする。

 

私を生んでくれた母は、結核という病の中で私を身ごもり、出産した。当時結核は死に最も近い病である。結核菌まみれで生まれた私は学齢期前には小児結核(当時は肋膜と言われたそうである)になり、一週間を優に超えて、高熱と意識の混濁が続き、父に言わせると何とか助かってほしいと思った状態だったそうである。そこで命を落としてもおかしくは無く、命があったとしてもハンディを持つことになっていた可能性は大きく、ストレプトマイシンで耳が聞こえなくなった人の話を聞くと、私も大量にストマイを投与されているそうなので、聴こえなくなっていたとしても何の不思議もなく、まさにすべては紙一重の差なのだと想えるわけで、他人事ではないのである。

 

今、出生前診断が可能になり、生まないという選択肢もありになっているけれど、それがどこか、かつての優生思想の亡霊のように見えてしまうのは私の思い過ごしだろうか。

 

 

 

 

 

【2018.02.07 Wednesday 15:47】 author : 長谷川 淺美
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