その日の朝、ずっと一緒に暮らしてきたパートナーの長谷川彰が、彼岸に旅立っていった。いつか来ることとはわかっていても、それは突然に来るもの。
一人になって寂しいでしょうとか、少しは落ち着きましたかとか言われるが、彰がここにはいないとはわかっているのだが、今も一緒にいるような感覚になる。寂しいとか悲しいとかの感情はあまりないように思うのだが、車を運転しているとき、買い物をしているときなどの何気ない日常の中で、不意に涙があふれてくることがあり、少し戸惑う。濃密な時間があったわけでもなく、むしろお互いに淡々と過ごしてきたと思っているのだが、人生の中で、一番長い時間を過ごしてきたと思う相手が突然いなくなると、理性や理屈では説明できない感情が出てくるのかもしれないと、今さらに思う。
そして一年が過ぎ、一周忌を済ませたが、まだ一人の時間に慣れていなく、一部に色彩のない部分が残っている。今まではそんなことは全くなかったのだが、我が家の猫が私が仏壇でお線香をあげていると、脇に座るようになった。
私には、私の時間がまだ残っているようなので、暫くは私の仕事と私の時間を過ごさなくてはならないようだ。最近やっと彰の声が聞こえてくるようになった、彼岸に行った彼も少し落ち着いたのかもしれない。
これから又、ブログを書くことが出来そうである。
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苑利用者、グループホームメンバーのゴールデンウィークの帰省は、今年も見送りとしました。可哀そうですが、致し方ありません。
でも、皆、よく耐えてくれています。
9日に、苑の中庭でカラオケ付きお花見をしました。とても暖かな良いお天気で、桜の花びらが舞う中でのお花見でした。少しは気分が晴れたかな?と思います。
先日、県議会事務局の方から、県議会議員の保健福祉委員会の方々、11名の施設見学に関する依頼があり、議会事務局の方が見えました。この時期に(見学日程は5月13日とかの予定)、議員さん11人と事務担当者4人の方々で見学とのご依頼です。半分の人数で2日間に分散しての実施なども提案しましたが、なかなか調整が難しいとのことで、残念ですが、今回の施設見学についてはお断りしました。
本来ならば、すべての方々の施設見学は大歓迎なのですが、私たちは入所者の命を守ることが最優先です。今の時期は多人数での見学はお断りせざるを得ません。事務局の方には、2~3人の議員さんで見学にいらしていただくなら大丈夫ですと、議員さんにお伝えくださいと申し上げました。
ここまで感染者を出すことなく、無事に過ぎてきたのですから、もう少し辛抱していきたいと思っています。多分、職員もかなりストレスを抱えているとは思うのですが、皆、毎日交代で消毒に巡回しながら踏ん張ってくれています。
職員にも、利用者にも感謝です。
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そんな中で、令和3年度茨城県障害者雇用優良企業等の知事表彰の審査結果についての通知が、障害者就業・生活支援センター宛てに届きました。企業で働く、優良障害者を表彰しますというものです。令和3年度は、審査の結果、5名の知的ハンディキャップのある方が選ばれました。その中の、2名が、しろがね苑出身の方です。お二人とも男性。勤続年数は、17年と、24年。ずっと同じ職場で仕事を続けています。
17年勤続のSさんは当法人のグループホームで暮らしています。24年勤続のIさんはグループホームを経て、かなり前から一人暮らしをしています。
これまで、県の社会福祉大会などで、自立更生者としての表彰は毎年受けてきていましたが、知事表彰はたぶん今回初めてと思います。支援してきた職員もきっと励みとなることと思います。支援者としては自分が行ってきたことの評価ともなるわけですから、うれしいに違いありません。
お二人の表彰は令和2年の1月12日に、県庁で行われます。企業の方は当然同席されるのですが、私たちは同席できるのかどうか、問い合わせたいと思っています。もし、家族は同席しても良いと言うことになれば、残念ながら。Sさんのご両親はすでに亡くなられていて、Iさんのお父様も介護施設にお入りだと聞いていますので、同席はたぶんできないと思います。せめて私たちでその場でおめでとうをしてあげたいと思います。
ハンディのある人たちは、自分が主役になることは少ないように思います。表舞台に立つ、ということも少ないように思います。ので、このような晴れやかな経験は、機会がおればさせてあげたいと思っています。それは、本人にとっても大いなる自信につながるでしょうし、多くの人たちにその存在を認めていただいたと言うことにもなります。私たち法人職員としても嬉しいことです。
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ポスターもいただいていたのですが、致し方ありません。
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この人は、長谷川辰之助という、25歳で長谷川家に土浦市の高津というところから養子に入った人で、博物館の学芸員の方から、長谷川愛石の資料があれば見せてほしいとの依頼を受け、7月末ぐらいから数回にわたって色々見に来られていました。庭にあった、石器のようなものも含めて、展示用の資料も何点か待っていかれました。学芸員の方の話だと、考古学に興味のある人なら大抵は愛石のことは知っているでしょうとのこと。
私が聞いている、長谷川辰之助(愛石さん)は、墓石に「是我の墓」との銘を残した人、近所の子供たちが石を持ってきて、「おじさんこれ」と見せるとお小遣いをくれていた人、発掘か何かの調査に行くのにお供を何人か連れて行ったり、絵描きさんらしき人などを滞在させていたようだと言うことぐらいで、愛石さんにも、考古学にもあまり関心がなく、他の人から千代田村史に載っているの、貴方の家の人じゃない?などと教えられる程度でしかないのです。
ですが今回、学芸員の方に問われて、一緒に色々調べてみて、几帳面に記録を取っていたこと、それなりに遊び心もあり、村長職にも就いていたようで、地域貢献もしていたことがわかってきました。残された写真を見ると、飄々としてユーモラスな、どこかおとぼけのような表情に見えました。
発掘した土器などは非常に丁寧に絵と文章とで記録していて、発掘場所の地図なども書かれていて、絵心もあった人のようです。それらの記録はとても貴重なのだと、学芸員さんが言われます。
わが家の書院は母屋よりも比較的新しく見えますが、どうやら愛石さん用の部屋だったように思われます。部屋の違い棚の引き戸の絵は愛石さん(雅号は凸津)が描いたもののようで、学芸員さんが喜んで、展示するとのことで持っていかれました。
ですが、長谷川家では彼の評判は芳しくなかったようです。あまり働きもせずに、趣味にうつつを抜かしていて、お金もそれなりに使っていたでしょうから、家人からはあまり良く見られてはいなかったと思われます。愛石さん、奥方には頭が上がらなかったようです。
9月14日から10月17日までの間、長谷川愛石展が開かれます。どんな展示になるのか興味が沸きます。10月3日の午後には、我が家を訪ねてこられた学芸員さんが、愛石さんの話をされるそうです。
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今回のオリンピックに参加していた人たちの中に、広島、長崎の原爆投下について、知る人がどれぐらいいるのだろうか。IOCの会長が広島を訪れてはいるが、形式にすぎないように見える。ならば、オリンピック開催中の6日の朝に、全世界の参加者たちが原爆の日を思い起こして黙とうしてほしかったと思う。それが平和の祭典に相応しいのではないだろうか。ナチスのホロコーストに関しては広く知れ渡り、様々に伝えられているように思うが、広島、長崎についてはどうだろう。
長崎の式典で、92歳の女性が当時のことを語っている。生きて、その人の言葉で伝えていくことはできなくなってきているのだ。時は過ぎていき、記憶は遠のいていつてしまう。だが、記録はしっかりと残っているはずである。広島の資料館もそうだが、多くの作家や詩人たちも、広島、長崎について書いているし、力尽きて倒れた多くの人たちも、証言を残しているし、絵に描いてもいる。
原爆について書かれたものを始めて読んだのは、井伏鱒二の「黒い雨」。閃光に焼かれて街をさまよう人たちが黒い雨に打たれ、やがて原爆病で斃れていくその状況を若い女性を通して描いている物語。それから、大江健三郎の「ヒロシマノート」など。
実体験ではなくとも、それらのものから想像することはできる。そこで何が起きていたのか、すくなくとも私たちは知っておくべきだと思う。被害国だからとか、悲惨な出来事だからとかではなく、感傷的ではなく、事実として私たちは知っておくべきだし、それがどのような結果をもたらしたのかについても、視ておく必要があると思うのだ。
今もなお、戦闘地域は存在し、多くの人の命が失われている。人はなぜ争わなければならないのだろう。宗教の違い?領土の争い?
様々な理由はあるのだろうが、憎しみは更なる憎悪を生むだけのように思える。
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苑と銀の笛は同じ業者に調理業務を委託してきた。が、この一年ほどの間にひどく質が落ちてきて、異物混入やら、量の変動やらが頻回にみられてきたため、委託業者を変更することにした。
6月1日、今日から新たな業者に厨房業務を委託することとした。
入所施設に暮らす人たちは、自分で食事の内容を決めたり選んだりが出来ない。毎日、毎食、出されたものを食べるほかにないのである。自分で好きなものを調理するとか、今日の夕飯は○○が食べたいからつくつて・・とも言えない。選べないのが通常である。
時々はファミレスや近くの食堂、ラーメン屋さんなどに外食には行っていたが、今はコロナ禍でそれも出来ないので、時々テイクアウトするだけになっている。
せめて苑で提供する食事はおいしいものを・・と思う。なので業者を変えることとした。
料理というのはきちんと手順通りに出汁を取るとか、火が通りにくいものから先に調理していくとか、生臭くなりそうなものは湯通しするとかの手順をきちんとすれば大抵のものはおいしく出来上がると思う。高価な材料でなくともそれは可能だと思う。それは家庭でも施設でも同じことだと思えるのだが、なかなかそれが出来ていなかったようで、我慢も限界になったので、業者変更に至った。
銀の笛も昼食の一食だけだが、温かいものは暖かく、冷たいものは冷たく提供できるように厨房機器も整えたはずであったが、できていなかった。もしかしたら、施設の昼食がとても大事な食事になっている人もいるかもしれないのである。最善のものを提供したい。
もちろん材料費等の制約はあるが、レストランの料理でなく家庭料理である。食べる人の「おいしかった」を聞くために、「ごちそうさま」の笑顔に会うために愛情込めて調理してほしい。
苑の利用者は、おいしいときは「おいしかったです」と言うが、まずいときには「まずかったです」とは決して言わない。
今日の昼食は、女子利用者から卵がトロっとしていでおいしいとの声が聞かれた。今日はオムライス。
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21日、今日から三回に分けて、しろがね苑利用者と職員、グループホーム居住者と世話人のコロナワクチン接種が開始された。今日21日は60名。25日、28日も同数の人たちが接種を受ける予定。ファイザー社製のワクチンである。接種後に30分の待機時間を設けたが、アナフィラキシーなどの症状は全く見られずに一安心。が、念のためグループホームの夜間の見回り、アクシデントが起きた時の対処等に備えることとした。
三週間後の二度目の接種が完了すれば、コロナ感染予防の一つのハードルはクリアできると思う。やっと辿り着いたという感じである。苑の利用者も皆よく缶詰め状態に耐えてくれている。職員もこれまでに二回、唾液による抗体検査を実施したが何れも問題なしの状態である。が、茨城でも感染経路不明の感染者が増えている状態で、まだまだ要警戒ではある。
そんな中で、今年の年明けに、グループホームを出て一人暮らしをしたいとの希望を受けていたU・Aさん、お部屋が見つかって、今月契約を済ませてお引越しをすることになった。oneLDKのアパートで、職場までは3キロの距離。すでに電気製品等は手配済み。本人としては、お料理がしたいとのことで、調理スペースも十分なところ。
U・Aさんはおばあちゃんに育てられたので、介護の仕事を希望していて、介護の初任者研修を経て、お年寄りのグループホームで介護の仕事についている。職場でお友達も出来ているようで、すっかり大人の女性である。が、結婚願望はないのだとか。
ともあれ、一人暮らし!! 満喫を!!
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3年ごとの報酬改定の内容がほぼ固まってきた。令和3年度の障害者福祉サービスの改定率は+0.56%、9月末までのコロナ対応の特例としての、+0,05%を含んだもの。基本報酬に+0,01%上乗せとの説明。
就労系の報酬に関しては大幅に変わってきている。A型は基本報酬の算定に関して、スコア方式を取り入れる。労働時間やきちんとした生産活動がなされているか、職員のキャリアアップを図る仕組みがあるか、地域との連携による商品開発や、働く場の確保など地域との連携が図られているかなどの項目を点数化し、200点満点での評価を行うもの。
B型は工賃月額評価の7段階が8段階に変わり、これまで5千円未満が最低基準だが、1万円未満になり、566単位/日となるようだ.加えて新たな評価基準として地域共同加算(就労や生産活動で地域と協働した取り組みの有無等)について新たな加算を付けると言うものの新設。加えてピアサポートによる支援の実施についても評価し、基本報酬に上乗せする構図である。
就労移行、定着についても、移行実績に応じて基本報酬で評価、定着支援に関しても基本報酬を見直し、新たに、定着支援連携促進加算、これは関係機関等とのケース会議などを実施した場合に加算されるもので、579単位/回。ただし年4回まで、が新設される。
その他にも医療連携体制加算の見直し、職員の処遇改善加算(配分に関する緩和)の見直しなども盛り込まれており、かなりの部分で改定、見直しが行われるようだ。
毎年3月に行われる日本知的福祉協会の部会・協議会において、厚労省の担当者から行政説明として様々な制度、施策の情報が提示されるが、今年は集合では開催されずに、WEBで3月4日の午後に実施される予定。そこで改定の詳細が説明されると思われる。
今回の改定では、就労系の報酬見直しが多くみられ、コロナの影響も加味されていて、平均工賃算定等についても過、過去2年間にさかのぼってどちらか高い方の選択が可となっている。
県の非常事態宣言は解除されたとは言え、まだまだ警戒はつついており、介護施設などでのクラスターなどもみられている状況である。報酬アップが果たしてどれだけの効果を生んでくれるのだろうか。ともあれ、日々の感染予防には一段と注意喚起が必要と思う。
アグレステはずっと休業していたが、今週の金曜日。2月26日から昼営業を開始する。是非、来店を。予約も歓迎。
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今年の2月3日は、コロナウィルス禍が始まってちょうど一年目。去年の2月3日横浜港にダイヤモンド・プリンセス号が入港した時から
新型コロナウィルスも日本に入ってきたのだった。
一年間、わが法人施設の利用者、職員、関係する人たちは幸いにこれまでは罹患せずに凌いでこられた。が、いまだ、緊急事態宣言は続いており、これからも緊張は続いて行く。
去年のクリスマスイブの日に、U・Aさんから一人暮らしがしたいと希望を受ける。Uさんは現在はグループホームで暮らしているが、ホームの中で、ミニ一人暮らしのような形態で、仕事がお休みの時には食事を自分で作ったり、お小遣いの管理も自分で行うなど、一人暮らしに移行するための練習をしてきている。グループホーム担当の職員からもそろそろの時期だと聞いていた。もしかしたら好きな人がいて、そのための一人暮らし?と思い、聴いてみると、お付き合いしている人はいる、同じ職場の人、でも、相手の人も私も、結婚願望はないので、結婚はしない、との返事だった。とてもすっきりにこやかな返答である。相手はもしかして…と思っていたら、顔に出たのかもしれない、独身です! の答え。
ワンルームのアパートでいいとのこと。場所も、前はいろいろ考えたのだけれど、今のグループホームの近くでよいとのこと。アパート探し一人でする? それは無理と思うので探してほしいとのこと。4月ごろまでに引っ越しできるようにしようと言うことになったのだが、年明けに茨城県では、県の基準でコロナの感染状況がステー4になって緊急事態宣言が出てしまい、アパート探しがしばしお預け状態である。その間も、一人暮らしのトレーニングとして、一か月分のお給料を自分で管理できるようにやってみることになった。今住んでいるグループホームの費用も自分で支払うことになる。
Uさんは以前からお小遣いを少しづつ貯金してほしいものを買ったり、職場のお友達とコンサートに行ったりしているので、あまり心配はしていないが、グループホームのサテライト型などの利用ではなく、完全に独立した暮らし方をしたいとの希望なので、お金のことも任せてみることになった。
U・Aさんが18歳でしろがね苑に来て、就職して、グループホームに移って、十数年が経ち、Uさんも30歳を超えた年齢になり、すっかり大人の女性である。
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昨日は成人の日。各地で成人式の中止やオンライン成人式に変わっているようです。石岡市の成人式も中止ではありませんが延期になりました。
そんな中で、白銀会の成人式は苑ではなく、トラットリア・アグレステに場所を変えて、少人数で、でもしっかりと執り行いました。
成人の日は一生に一度です。その時だけの晴れの日なのです。祝ってあげたいと思います。
今年の成人者は5名。男子4名。紅一点女子が1名。和服姿がとてもきれいです。初めての和服です、少し緊張していて表情が硬かったのですが、20歳の抱負をきちんと自分の言葉で言えました。
子供から大人に移っていくとき、それはとても大事な時間であり、そこにある儀式はとても大事ものだと思っています。特に、知的ハンディキャップを有する人たちの場合は。20歳になる、大人になるこの機会に、自分を律していく力を身に着けてほしいと思っています。知的に未熟であるために、思い通りに行かないことや、自分の欲求が通らないことがあると、相手をたたいたり殴ってしまったり、モノにあたって壊したりということが往々にして起こります。いけないことだという自覚は持っていても、その時に自分の感情のままに行動してしまいます。その怒りやイラ立ちを律する心を養ってほしいと思っています。自立することは比較的簡単かもしれませんが、自律することは簡単ではないのです。特に知的ハンディを持つ人たちについてはそう思います。
私たちは自立の支援と同時に、自律心の養成の支援に力を注がねばなりません。たぶん後者の方が時間と労力を要する支援なのです。
正直言って、何度も何度も同じことを繰り返していて、注意を受けるごとに「ごめんなさい、もうしません。反省します。」の言葉や、自分の行為は棚に上げて他の誰かのせいにしたり、嘘をついてごまかそうとしたりを繰り返している状況を見ると、途中で諦めかけたり、どうやったら伝わるのかと悩んだり、ため息が出てしまうようなこともあるのですが、時間と労を惜しまずに支援が肝要です。いつの日かきっと実を結ぶ日が来ます。
人は常に変わっていく存在なのですから、私たちは一人一人が変わっていける環境を作っていくことが肝要と思います。
これまでの20年よりも、これからの人生の数十年の方がはるかに大事です。20歳はそのスタート地点です。
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結婚して、子供が生まれて、子育てと仕事に頑張っているO・Mさん。子供のAちゃんの保育園で同じクラスの男の子のお母さんがコロナウイルスに罹患。男の子が通う保育園の園児もAちゃんを含め、濃厚接触者として検査を受けることになった。検査を受けるためには指定された病院までAちゃんを連れて行かなければならない。Mさんも、パパも車の免許も車も持っていない。誰かに頼んで行く方法しか無い。いつもなら苑の職員が送迎しているし、それが出来れば良いのだが、コロナである。職員が感染して苑に持ち込んでしまったら一大事。どうしよう! になった。車の窓を全開にして後部座席にAちゃんをバギーの中に隔離して乗せてママを隣に‥ということになった。のだが、保育園側で園の送迎バスを使って送り迎えしてくれることになり、やれやれ。そして結果はAちゃんたちも保育士さんたちも陰性という結果で本当に安堵する。が、その後一週間はAちゃんとママとパパは自宅待機。食料やらおむつやら足りないものは調達してドアの外に置いて、接触しないように。一週間の自宅待機解除、Aちゃんは保育園へ、パパもママも職場復帰する。
その後、O・Mママは、自動車学校に通い、車の免許を取得した。そして今週、車を買うことになった。これまではずっと、妊娠中からの通院、Aちゃんが生まれてからの乳幼児健診とか病気の時の通院とかは苑の職員が車で送迎して付き添っていた。コロナ事件が直接のきっかけではないにしても、自分で行動したいと思うようになったようである。母になると言うことはそういうことかもしれないと思う。車は軽自動車の中古車だけれど、これからは、通院やお買い物もAちゃんを乗せていつでも動けるようになるわけで、保育園や学校の行事もすぐに行動できるようになり、どんどんお母さんらしくたくましくなっていくのだろうと想像する。
そして、これまでO・Mママの送迎や付き添いをしていた職員は、万が一自分がコロナに感染してしまった時に、一緒に住んでいる両親に対する感染リスクを避けるために、別居できるアパートを借りた。
職務を遂行しようとすれば、どんなに防御していたとしても感染のリスクはある程度覚悟しなければらならないのが、私たちの仕事である。少しでも体調に変化があれば自宅待機の必要が出てくる。
コロナ禍の中でも、皆がそれぞれに考えて、工夫を凝らし、成長していってくれていることを感じる。
終わりが見えない今だけれど、あの時はこうだったと笑って話せる日がきっとくるに違いない。
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その間、苑利用者、グループホームのメンバー、職員、関係する家族などなど、じっと耐え忍ぶ以外に方法がなく、今もステイホームというお籠り生活である。
職員の子供の学校で感染者が出て、濃厚接触者として検査を受けたが陰性だったり、濃厚接触者ではないが少し疑わしいときには一定期間自宅待機したりという事例は出たが、幸いにもこれまでは法人が関連する施設等での感染者は出ていない。が、引き続き厳重警戒と防御は必要な状況にある。県内の感染者も11月に入って急増している。
2月以来、法人の行事や各施設の行事等全てを取りやめている。今夏の帰省も中止。家族との面会も短時間で少人数としたり、中止しにしたりの状況。苑の利用者には可哀そうで申し訳ないが、致し方なし。かなりストレスが溜まっていることと思う。
9月、10月は外食や日帰りのレクリェーションができたが、今はまた外出禁止状態。お買い物も一か所のみで、職員付きでの時間決め、の状態。今年のクリスマス会も中止。職員とは落ち着いたら別の催しや行事を考えようと話しているが、それも何時のことか・・
私たちは今、得体のしれない未知のウィルスに対峙し、ある意味なす術なしの状況にある。私たちにできることは蜜を避けて、手洗いと嗽をし、人との距離を保ち、換気を十分に・・・そして外出を避けて籠っていること・・・それだけ?
月に行き、滞在しその映像が地球にリアルタイムに届き、月旅行ができるかもしれない今、AIとやらで様々なシュミレーションが出来て、計算速度は京単位という想像できないほどにまで発展する今、ほんの小さなウィルスに全世界がこれだけ翻弄されているのだ。自然界の前にどれほど人間が小さくて弱い存在かを見せつけられているように思う。
もしかしたら、これは自然界からの人間に対する大いなる警告なのかもしれない、自然を破壊し、温暖化を加速し、なお同じ道を進もうとしている人類への地球からの、或いは宇宙からの重大な警告であり、お仕置きであるのかもしれない。
コロナが終息したとしても、また100年後に同じような災禍が襲ってくるだろう。100年前にスペイン風邪に襲われたように。
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これは特異な考え方の人が引き起こした特異な事件だったと考えていいのだろうか。この犯人の考えが間違っていたせいだとしてしまっていいのだろうか。
差別はきっと誰の心にもあるものなのだと思う。自分と違うもの、自分には理解できないもの、恐ろしいものを自分から遠ざけようとしたり、排除したりしようとする心はきっと持っているはずなのだ。しかし、自分とどこが違っているのか、どうすれば理解できるようになるのか、あるいは本当に恐ろしいものなのか見極めようとする理性は誰にでも備わっているはずで、その理性あるいは冷静さ、そして心の痛みや哀しさが差別の垣根を限りなく低くしてくれているのだと思う。それは想像力であり感性であり、共感する感情。他の動物とは全く違う、人間にだけに備わっているものだと思う。それが全て失われてしまったのか。それとも、障害のある人たちと日々接する中で殺意は生まれてきたのだろうか。
たぶん、犯人である彼の言葉や心情をどれだけ聞いたとしても、到底理解などできないだろうけれど、聴きたかった。そしてその考えや感情を改めさせたかった。どんなに時間を費やしてでも、改めさせたい。「被告人を死刑に処する」で終わってはならないと思う。
かつて日本にも優生保護法という法律がつい最近まで存在していた。第2次世界大戦で、ヒトラーは優生思想の下でユダヤ人虐殺を実行した。優れた民族か否か、優秀な人物か否か、生産力を有する者か否か、それらの基準で差があると思い込んだり区分したりすることが大きな差別を生んでいるのではなかろうか。
人は一人一人違っていて当たり前なのだ。誰一人自分と同じ人はいないのだ。違っているから私とあなたという存在が生まれるのだと思う。そして、すべての人はそれぞれに大切な役割をもって生まれ、存在しているのだということを、もう一度思い起こしてほしいと思う。
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緊急事態宣言はないが、施設としては厳重警戒体制を取らなければならない。
昨年の12月下旬、同年の台風19号の被害を受けて、非常用発電装置の補助金に関する募集が、県を通して行われ、しろがね苑も応募した。台風からの実質的被害はなかったのだが、過去数年で2度の落雷の被害があり、非常用の電源を何とかしたいと考えていたところだったので、太陽光発電によるものと、ガスによる非常発電装置ともに見積もりを聴取して比較していたところでだった。
年明けに、補助金認定の通知があり、6月から工事を始めて7月13日に終了した、非常用発電装置は普段使用しているガスを使ったもので、停電になった時点で自動的に非常用に変わり、40秒後には通電するというものである。試運転も行ったがね問題なく点灯している。建物全体を賄うだけの発電量ではないが、居室棟部分はトイレなども含めて賄える量である。真っ暗な中で、水道もトイレも使えない状態は免れるはずである。
真っ暗なのは停電だけ?ではなく、様々なところで心が暗くなってしまうニュースが多く報じられている。日本の豪雨もしかり、中国の香港への強引な支配。東シナ海での中国による不法占拠、インドと中国との国境での戦闘、ソビエトの法律改正にかかる国民投票の結果、などなど、権力者、独裁者による強権の行使はこれからも続くのだろうか。心が限りなく暗くなる事態である。
その国の制度や法律について他国からあれこれ言うのは内政干渉だというなら、人としての権利、生存権や自由に発言する権利など、人としての権利にかかわる問題は内政干渉では断じてない。
日本は自由にモノが言えて、移動も自由で、どこかの国と隣接しているわけでもなく、都市封鎖も体験せずにある意味のんびり構えているような気がしてならない。
コロナ禍に乗じてなのか、コロナ禍をカモフラージュにしてなのかわからないが、少しづつ世界は良からぬ方向に行きつつあるように思えてならない。気が付いて時には遅かったとならないように願うばかり。
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