その日の朝、ずっと一緒に暮らしてきたパートナーの長谷川彰が、彼岸に旅立っていった。いつか来ることとはわかっていても、それは突然に来るもの。
一人になって寂しいでしょうとか、少しは落ち着きましたかとか言われるが、彰がここにはいないとはわかっているのだが、今も一緒にいるような感覚になる。寂しいとか悲しいとかの感情はあまりないように思うのだが、車を運転しているとき、買い物をしているときなどの何気ない日常の中で、不意に涙があふれてくることがあり、少し戸惑う。濃密な時間があったわけでもなく、むしろお互いに淡々と過ごしてきたと思っているのだが、人生の中で、一番長い時間を過ごしてきたと思う相手が突然いなくなると、理性や理屈では説明できない感情が出てくるのかもしれないと、今さらに思う。
そして一年が過ぎ、一周忌を済ませたが、まだ一人の時間に慣れていなく、一部に色彩のない部分が残っている。今まではそんなことは全くなかったのだが、我が家の猫が私が仏壇でお線香をあげていると、脇に座るようになった。
私には、私の時間がまだ残っているようなので、暫くは私の仕事と私の時間を過ごさなくてはならないようだ。最近やっと彰の声が聞こえてくるようになった、彼岸に行った彼も少し落ち着いたのかもしれない。
これから又、ブログを書くことが出来そうである。
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苑利用者、グループホームメンバーのゴールデンウィークの帰省は、今年も見送りとしました。可哀そうですが、致し方ありません。
でも、皆、よく耐えてくれています。
9日に、苑の中庭でカラオケ付きお花見をしました。とても暖かな良いお天気で、桜の花びらが舞う中でのお花見でした。少しは気分が晴れたかな?と思います。
先日、県議会事務局の方から、県議会議員の保健福祉委員会の方々、11名の施設見学に関する依頼があり、議会事務局の方が見えました。この時期に(見学日程は5月13日とかの予定)、議員さん11人と事務担当者4人の方々で見学とのご依頼です。半分の人数で2日間に分散しての実施なども提案しましたが、なかなか調整が難しいとのことで、残念ですが、今回の施設見学についてはお断りしました。
本来ならば、すべての方々の施設見学は大歓迎なのですが、私たちは入所者の命を守ることが最優先です。今の時期は多人数での見学はお断りせざるを得ません。事務局の方には、2~3人の議員さんで見学にいらしていただくなら大丈夫ですと、議員さんにお伝えくださいと申し上げました。
ここまで感染者を出すことなく、無事に過ぎてきたのですから、もう少し辛抱していきたいと思っています。多分、職員もかなりストレスを抱えているとは思うのですが、皆、毎日交代で消毒に巡回しながら踏ん張ってくれています。
職員にも、利用者にも感謝です。
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そんな中で、令和3年度茨城県障害者雇用優良企業等の知事表彰の審査結果についての通知が、障害者就業・生活支援センター宛てに届きました。企業で働く、優良障害者を表彰しますというものです。令和3年度は、審査の結果、5名の知的ハンディキャップのある方が選ばれました。その中の、2名が、しろがね苑出身の方です。お二人とも男性。勤続年数は、17年と、24年。ずっと同じ職場で仕事を続けています。
17年勤続のSさんは当法人のグループホームで暮らしています。24年勤続のIさんはグループホームを経て、かなり前から一人暮らしをしています。
これまで、県の社会福祉大会などで、自立更生者としての表彰は毎年受けてきていましたが、知事表彰はたぶん今回初めてと思います。支援してきた職員もきっと励みとなることと思います。支援者としては自分が行ってきたことの評価ともなるわけですから、うれしいに違いありません。
お二人の表彰は令和2年の1月12日に、県庁で行われます。企業の方は当然同席されるのですが、私たちは同席できるのかどうか、問い合わせたいと思っています。もし、家族は同席しても良いと言うことになれば、残念ながら。Sさんのご両親はすでに亡くなられていて、Iさんのお父様も介護施設にお入りだと聞いていますので、同席はたぶんできないと思います。せめて私たちでその場でおめでとうをしてあげたいと思います。
ハンディのある人たちは、自分が主役になることは少ないように思います。表舞台に立つ、ということも少ないように思います。ので、このような晴れやかな経験は、機会がおればさせてあげたいと思っています。それは、本人にとっても大いなる自信につながるでしょうし、多くの人たちにその存在を認めていただいたと言うことにもなります。私たち法人職員としても嬉しいことです。
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ポスターもいただいていたのですが、致し方ありません。
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この人は、長谷川辰之助という、25歳で長谷川家に土浦市の高津というところから養子に入った人で、博物館の学芸員の方から、長谷川愛石の資料があれば見せてほしいとの依頼を受け、7月末ぐらいから数回にわたって色々見に来られていました。庭にあった、石器のようなものも含めて、展示用の資料も何点か待っていかれました。学芸員の方の話だと、考古学に興味のある人なら大抵は愛石のことは知っているでしょうとのこと。
私が聞いている、長谷川辰之助(愛石さん)は、墓石に「是我の墓」との銘を残した人、近所の子供たちが石を持ってきて、「おじさんこれ」と見せるとお小遣いをくれていた人、発掘か何かの調査に行くのにお供を何人か連れて行ったり、絵描きさんらしき人などを滞在させていたようだと言うことぐらいで、愛石さんにも、考古学にもあまり関心がなく、他の人から千代田村史に載っているの、貴方の家の人じゃない?などと教えられる程度でしかないのです。
ですが今回、学芸員の方に問われて、一緒に色々調べてみて、几帳面に記録を取っていたこと、それなりに遊び心もあり、村長職にも就いていたようで、地域貢献もしていたことがわかってきました。残された写真を見ると、飄々としてユーモラスな、どこかおとぼけのような表情に見えました。
発掘した土器などは非常に丁寧に絵と文章とで記録していて、発掘場所の地図なども書かれていて、絵心もあった人のようです。それらの記録はとても貴重なのだと、学芸員さんが言われます。
わが家の書院は母屋よりも比較的新しく見えますが、どうやら愛石さん用の部屋だったように思われます。部屋の違い棚の引き戸の絵は愛石さん(雅号は凸津)が描いたもののようで、学芸員さんが喜んで、展示するとのことで持っていかれました。
ですが、長谷川家では彼の評判は芳しくなかったようです。あまり働きもせずに、趣味にうつつを抜かしていて、お金もそれなりに使っていたでしょうから、家人からはあまり良く見られてはいなかったと思われます。愛石さん、奥方には頭が上がらなかったようです。
9月14日から10月17日までの間、長谷川愛石展が開かれます。どんな展示になるのか興味が沸きます。10月3日の午後には、我が家を訪ねてこられた学芸員さんが、愛石さんの話をされるそうです。
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今回のオリンピックに参加していた人たちの中に、広島、長崎の原爆投下について、知る人がどれぐらいいるのだろうか。IOCの会長が広島を訪れてはいるが、形式にすぎないように見える。ならば、オリンピック開催中の6日の朝に、全世界の参加者たちが原爆の日を思い起こして黙とうしてほしかったと思う。それが平和の祭典に相応しいのではないだろうか。ナチスのホロコーストに関しては広く知れ渡り、様々に伝えられているように思うが、広島、長崎についてはどうだろう。
長崎の式典で、92歳の女性が当時のことを語っている。生きて、その人の言葉で伝えていくことはできなくなってきているのだ。時は過ぎていき、記憶は遠のいていつてしまう。だが、記録はしっかりと残っているはずである。広島の資料館もそうだが、多くの作家や詩人たちも、広島、長崎について書いているし、力尽きて倒れた多くの人たちも、証言を残しているし、絵に描いてもいる。
原爆について書かれたものを始めて読んだのは、井伏鱒二の「黒い雨」。閃光に焼かれて街をさまよう人たちが黒い雨に打たれ、やがて原爆病で斃れていくその状況を若い女性を通して描いている物語。それから、大江健三郎の「ヒロシマノート」など。
実体験ではなくとも、それらのものから想像することはできる。そこで何が起きていたのか、すくなくとも私たちは知っておくべきだと思う。被害国だからとか、悲惨な出来事だからとかではなく、感傷的ではなく、事実として私たちは知っておくべきだし、それがどのような結果をもたらしたのかについても、視ておく必要があると思うのだ。
今もなお、戦闘地域は存在し、多くの人の命が失われている。人はなぜ争わなければならないのだろう。宗教の違い?領土の争い?
様々な理由はあるのだろうが、憎しみは更なる憎悪を生むだけのように思える。
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苑と銀の笛は同じ業者に調理業務を委託してきた。が、この一年ほどの間にひどく質が落ちてきて、異物混入やら、量の変動やらが頻回にみられてきたため、委託業者を変更することにした。
6月1日、今日から新たな業者に厨房業務を委託することとした。
入所施設に暮らす人たちは、自分で食事の内容を決めたり選んだりが出来ない。毎日、毎食、出されたものを食べるほかにないのである。自分で好きなものを調理するとか、今日の夕飯は○○が食べたいからつくつて・・とも言えない。選べないのが通常である。
時々はファミレスや近くの食堂、ラーメン屋さんなどに外食には行っていたが、今はコロナ禍でそれも出来ないので、時々テイクアウトするだけになっている。
せめて苑で提供する食事はおいしいものを・・と思う。なので業者を変えることとした。
料理というのはきちんと手順通りに出汁を取るとか、火が通りにくいものから先に調理していくとか、生臭くなりそうなものは湯通しするとかの手順をきちんとすれば大抵のものはおいしく出来上がると思う。高価な材料でなくともそれは可能だと思う。それは家庭でも施設でも同じことだと思えるのだが、なかなかそれが出来ていなかったようで、我慢も限界になったので、業者変更に至った。
銀の笛も昼食の一食だけだが、温かいものは暖かく、冷たいものは冷たく提供できるように厨房機器も整えたはずであったが、できていなかった。もしかしたら、施設の昼食がとても大事な食事になっている人もいるかもしれないのである。最善のものを提供したい。
もちろん材料費等の制約はあるが、レストランの料理でなく家庭料理である。食べる人の「おいしかった」を聞くために、「ごちそうさま」の笑顔に会うために愛情込めて調理してほしい。
苑の利用者は、おいしいときは「おいしかったです」と言うが、まずいときには「まずかったです」とは決して言わない。
今日の昼食は、女子利用者から卵がトロっとしていでおいしいとの声が聞かれた。今日はオムライス。
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21日、今日から三回に分けて、しろがね苑利用者と職員、グループホーム居住者と世話人のコロナワクチン接種が開始された。今日21日は60名。25日、28日も同数の人たちが接種を受ける予定。ファイザー社製のワクチンである。接種後に30分の待機時間を設けたが、アナフィラキシーなどの症状は全く見られずに一安心。が、念のためグループホームの夜間の見回り、アクシデントが起きた時の対処等に備えることとした。
三週間後の二度目の接種が完了すれば、コロナ感染予防の一つのハードルはクリアできると思う。やっと辿り着いたという感じである。苑の利用者も皆よく缶詰め状態に耐えてくれている。職員もこれまでに二回、唾液による抗体検査を実施したが何れも問題なしの状態である。が、茨城でも感染経路不明の感染者が増えている状態で、まだまだ要警戒ではある。
そんな中で、今年の年明けに、グループホームを出て一人暮らしをしたいとの希望を受けていたU・Aさん、お部屋が見つかって、今月契約を済ませてお引越しをすることになった。oneLDKのアパートで、職場までは3キロの距離。すでに電気製品等は手配済み。本人としては、お料理がしたいとのことで、調理スペースも十分なところ。
U・Aさんはおばあちゃんに育てられたので、介護の仕事を希望していて、介護の初任者研修を経て、お年寄りのグループホームで介護の仕事についている。職場でお友達も出来ているようで、すっかり大人の女性である。が、結婚願望はないのだとか。
ともあれ、一人暮らし!! 満喫を!!
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3年ごとの報酬改定の内容がほぼ固まってきた。令和3年度の障害者福祉サービスの改定率は+0.56%、9月末までのコロナ対応の特例としての、+0,05%を含んだもの。基本報酬に+0,01%上乗せとの説明。
就労系の報酬に関しては大幅に変わってきている。A型は基本報酬の算定に関して、スコア方式を取り入れる。労働時間やきちんとした生産活動がなされているか、職員のキャリアアップを図る仕組みがあるか、地域との連携による商品開発や、働く場の確保など地域との連携が図られているかなどの項目を点数化し、200点満点での評価を行うもの。
B型は工賃月額評価の7段階が8段階に変わり、これまで5千円未満が最低基準だが、1万円未満になり、566単位/日となるようだ.加えて新たな評価基準として地域共同加算(就労や生産活動で地域と協働した取り組みの有無等)について新たな加算を付けると言うものの新設。加えてピアサポートによる支援の実施についても評価し、基本報酬に上乗せする構図である。
就労移行、定着についても、移行実績に応じて基本報酬で評価、定着支援に関しても基本報酬を見直し、新たに、定着支援連携促進加算、これは関係機関等とのケース会議などを実施した場合に加算されるもので、579単位/回。ただし年4回まで、が新設される。
その他にも医療連携体制加算の見直し、職員の処遇改善加算(配分に関する緩和)の見直しなども盛り込まれており、かなりの部分で改定、見直しが行われるようだ。
毎年3月に行われる日本知的福祉協会の部会・協議会において、厚労省の担当者から行政説明として様々な制度、施策の情報が提示されるが、今年は集合では開催されずに、WEBで3月4日の午後に実施される予定。そこで改定の詳細が説明されると思われる。
今回の改定では、就労系の報酬見直しが多くみられ、コロナの影響も加味されていて、平均工賃算定等についても過、過去2年間にさかのぼってどちらか高い方の選択が可となっている。
県の非常事態宣言は解除されたとは言え、まだまだ警戒はつついており、介護施設などでのクラスターなどもみられている状況である。報酬アップが果たしてどれだけの効果を生んでくれるのだろうか。ともあれ、日々の感染予防には一段と注意喚起が必要と思う。
アグレステはずっと休業していたが、今週の金曜日。2月26日から昼営業を開始する。是非、来店を。予約も歓迎。
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今年の2月3日は、コロナウィルス禍が始まってちょうど一年目。去年の2月3日横浜港にダイヤモンド・プリンセス号が入港した時から
新型コロナウィルスも日本に入ってきたのだった。
一年間、わが法人施設の利用者、職員、関係する人たちは幸いにこれまでは罹患せずに凌いでこられた。が、いまだ、緊急事態宣言は続いており、これからも緊張は続いて行く。
去年のクリスマスイブの日に、U・Aさんから一人暮らしがしたいと希望を受ける。Uさんは現在はグループホームで暮らしているが、ホームの中で、ミニ一人暮らしのような形態で、仕事がお休みの時には食事を自分で作ったり、お小遣いの管理も自分で行うなど、一人暮らしに移行するための練習をしてきている。グループホーム担当の職員からもそろそろの時期だと聞いていた。もしかしたら好きな人がいて、そのための一人暮らし?と思い、聴いてみると、お付き合いしている人はいる、同じ職場の人、でも、相手の人も私も、結婚願望はないので、結婚はしない、との返事だった。とてもすっきりにこやかな返答である。相手はもしかして…と思っていたら、顔に出たのかもしれない、独身です! の答え。
ワンルームのアパートでいいとのこと。場所も、前はいろいろ考えたのだけれど、今のグループホームの近くでよいとのこと。アパート探し一人でする? それは無理と思うので探してほしいとのこと。4月ごろまでに引っ越しできるようにしようと言うことになったのだが、年明けに茨城県では、県の基準でコロナの感染状況がステー4になって緊急事態宣言が出てしまい、アパート探しがしばしお預け状態である。その間も、一人暮らしのトレーニングとして、一か月分のお給料を自分で管理できるようにやってみることになった。今住んでいるグループホームの費用も自分で支払うことになる。
Uさんは以前からお小遣いを少しづつ貯金してほしいものを買ったり、職場のお友達とコンサートに行ったりしているので、あまり心配はしていないが、グループホームのサテライト型などの利用ではなく、完全に独立した暮らし方をしたいとの希望なので、お金のことも任せてみることになった。
U・Aさんが18歳でしろがね苑に来て、就職して、グループホームに移って、十数年が経ち、Uさんも30歳を超えた年齢になり、すっかり大人の女性である。
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昨日は成人の日。各地で成人式の中止やオンライン成人式に変わっているようです。石岡市の成人式も中止ではありませんが延期になりました。
そんな中で、白銀会の成人式は苑ではなく、トラットリア・アグレステに場所を変えて、少人数で、でもしっかりと執り行いました。
成人の日は一生に一度です。その時だけの晴れの日なのです。祝ってあげたいと思います。
今年の成人者は5名。男子4名。紅一点女子が1名。和服姿がとてもきれいです。初めての和服です、少し緊張していて表情が硬かったのですが、20歳の抱負をきちんと自分の言葉で言えました。
子供から大人に移っていくとき、それはとても大事な時間であり、そこにある儀式はとても大事ものだと思っています。特に、知的ハンディキャップを有する人たちの場合は。20歳になる、大人になるこの機会に、自分を律していく力を身に着けてほしいと思っています。知的に未熟であるために、思い通りに行かないことや、自分の欲求が通らないことがあると、相手をたたいたり殴ってしまったり、モノにあたって壊したりということが往々にして起こります。いけないことだという自覚は持っていても、その時に自分の感情のままに行動してしまいます。その怒りやイラ立ちを律する心を養ってほしいと思っています。自立することは比較的簡単かもしれませんが、自律することは簡単ではないのです。特に知的ハンディを持つ人たちについてはそう思います。
私たちは自立の支援と同時に、自律心の養成の支援に力を注がねばなりません。たぶん後者の方が時間と労力を要する支援なのです。
正直言って、何度も何度も同じことを繰り返していて、注意を受けるごとに「ごめんなさい、もうしません。反省します。」の言葉や、自分の行為は棚に上げて他の誰かのせいにしたり、嘘をついてごまかそうとしたりを繰り返している状況を見ると、途中で諦めかけたり、どうやったら伝わるのかと悩んだり、ため息が出てしまうようなこともあるのですが、時間と労を惜しまずに支援が肝要です。いつの日かきっと実を結ぶ日が来ます。
人は常に変わっていく存在なのですから、私たちは一人一人が変わっていける環境を作っていくことが肝要と思います。
これまでの20年よりも、これからの人生の数十年の方がはるかに大事です。20歳はそのスタート地点です。
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結婚して、子供が生まれて、子育てと仕事に頑張っているO・Mさん。子供のAちゃんの保育園で同じクラスの男の子のお母さんがコロナウイルスに罹患。男の子が通う保育園の園児もAちゃんを含め、濃厚接触者として検査を受けることになった。検査を受けるためには指定された病院までAちゃんを連れて行かなければならない。Mさんも、パパも車の免許も車も持っていない。誰かに頼んで行く方法しか無い。いつもなら苑の職員が送迎しているし、それが出来れば良いのだが、コロナである。職員が感染して苑に持ち込んでしまったら一大事。どうしよう! になった。車の窓を全開にして後部座席にAちゃんをバギーの中に隔離して乗せてママを隣に‥ということになった。のだが、保育園側で園の送迎バスを使って送り迎えしてくれることになり、やれやれ。そして結果はAちゃんたちも保育士さんたちも陰性という結果で本当に安堵する。が、その後一週間はAちゃんとママとパパは自宅待機。食料やらおむつやら足りないものは調達してドアの外に置いて、接触しないように。一週間の自宅待機解除、Aちゃんは保育園へ、パパもママも職場復帰する。
その後、O・Mママは、自動車学校に通い、車の免許を取得した。そして今週、車を買うことになった。これまではずっと、妊娠中からの通院、Aちゃんが生まれてからの乳幼児健診とか病気の時の通院とかは苑の職員が車で送迎して付き添っていた。コロナ事件が直接のきっかけではないにしても、自分で行動したいと思うようになったようである。母になると言うことはそういうことかもしれないと思う。車は軽自動車の中古車だけれど、これからは、通院やお買い物もAちゃんを乗せていつでも動けるようになるわけで、保育園や学校の行事もすぐに行動できるようになり、どんどんお母さんらしくたくましくなっていくのだろうと想像する。
そして、これまでO・Mママの送迎や付き添いをしていた職員は、万が一自分がコロナに感染してしまった時に、一緒に住んでいる両親に対する感染リスクを避けるために、別居できるアパートを借りた。
職務を遂行しようとすれば、どんなに防御していたとしても感染のリスクはある程度覚悟しなければらならないのが、私たちの仕事である。少しでも体調に変化があれば自宅待機の必要が出てくる。
コロナ禍の中でも、皆がそれぞれに考えて、工夫を凝らし、成長していってくれていることを感じる。
終わりが見えない今だけれど、あの時はこうだったと笑って話せる日がきっとくるに違いない。
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その間、苑利用者、グループホームのメンバー、職員、関係する家族などなど、じっと耐え忍ぶ以外に方法がなく、今もステイホームというお籠り生活である。
職員の子供の学校で感染者が出て、濃厚接触者として検査を受けたが陰性だったり、濃厚接触者ではないが少し疑わしいときには一定期間自宅待機したりという事例は出たが、幸いにもこれまでは法人が関連する施設等での感染者は出ていない。が、引き続き厳重警戒と防御は必要な状況にある。県内の感染者も11月に入って急増している。
2月以来、法人の行事や各施設の行事等全てを取りやめている。今夏の帰省も中止。家族との面会も短時間で少人数としたり、中止しにしたりの状況。苑の利用者には可哀そうで申し訳ないが、致し方なし。かなりストレスが溜まっていることと思う。
9月、10月は外食や日帰りのレクリェーションができたが、今はまた外出禁止状態。お買い物も一か所のみで、職員付きでの時間決め、の状態。今年のクリスマス会も中止。職員とは落ち着いたら別の催しや行事を考えようと話しているが、それも何時のことか・・
私たちは今、得体のしれない未知のウィルスに対峙し、ある意味なす術なしの状況にある。私たちにできることは蜜を避けて、手洗いと嗽をし、人との距離を保ち、換気を十分に・・・そして外出を避けて籠っていること・・・それだけ?
月に行き、滞在しその映像が地球にリアルタイムに届き、月旅行ができるかもしれない今、AIとやらで様々なシュミレーションが出来て、計算速度は京単位という想像できないほどにまで発展する今、ほんの小さなウィルスに全世界がこれだけ翻弄されているのだ。自然界の前にどれほど人間が小さくて弱い存在かを見せつけられているように思う。
もしかしたら、これは自然界からの人間に対する大いなる警告なのかもしれない、自然を破壊し、温暖化を加速し、なお同じ道を進もうとしている人類への地球からの、或いは宇宙からの重大な警告であり、お仕置きであるのかもしれない。
コロナが終息したとしても、また100年後に同じような災禍が襲ってくるだろう。100年前にスペイン風邪に襲われたように。
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これは特異な考え方の人が引き起こした特異な事件だったと考えていいのだろうか。この犯人の考えが間違っていたせいだとしてしまっていいのだろうか。
差別はきっと誰の心にもあるものなのだと思う。自分と違うもの、自分には理解できないもの、恐ろしいものを自分から遠ざけようとしたり、排除したりしようとする心はきっと持っているはずなのだ。しかし、自分とどこが違っているのか、どうすれば理解できるようになるのか、あるいは本当に恐ろしいものなのか見極めようとする理性は誰にでも備わっているはずで、その理性あるいは冷静さ、そして心の痛みや哀しさが差別の垣根を限りなく低くしてくれているのだと思う。それは想像力であり感性であり、共感する感情。他の動物とは全く違う、人間にだけに備わっているものだと思う。それが全て失われてしまったのか。それとも、障害のある人たちと日々接する中で殺意は生まれてきたのだろうか。
たぶん、犯人である彼の言葉や心情をどれだけ聞いたとしても、到底理解などできないだろうけれど、聴きたかった。そしてその考えや感情を改めさせたかった。どんなに時間を費やしてでも、改めさせたい。「被告人を死刑に処する」で終わってはならないと思う。
かつて日本にも優生保護法という法律がつい最近まで存在していた。第2次世界大戦で、ヒトラーは優生思想の下でユダヤ人虐殺を実行した。優れた民族か否か、優秀な人物か否か、生産力を有する者か否か、それらの基準で差があると思い込んだり区分したりすることが大きな差別を生んでいるのではなかろうか。
人は一人一人違っていて当たり前なのだ。誰一人自分と同じ人はいないのだ。違っているから私とあなたという存在が生まれるのだと思う。そして、すべての人はそれぞれに大切な役割をもって生まれ、存在しているのだということを、もう一度思い起こしてほしいと思う。
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緊急事態宣言はないが、施設としては厳重警戒体制を取らなければならない。
昨年の12月下旬、同年の台風19号の被害を受けて、非常用発電装置の補助金に関する募集が、県を通して行われ、しろがね苑も応募した。台風からの実質的被害はなかったのだが、過去数年で2度の落雷の被害があり、非常用の電源を何とかしたいと考えていたところだったので、太陽光発電によるものと、ガスによる非常発電装置ともに見積もりを聴取して比較していたところでだった。
年明けに、補助金認定の通知があり、6月から工事を始めて7月13日に終了した、非常用発電装置は普段使用しているガスを使ったもので、停電になった時点で自動的に非常用に変わり、40秒後には通電するというものである。試運転も行ったがね問題なく点灯している。建物全体を賄うだけの発電量ではないが、居室棟部分はトイレなども含めて賄える量である。真っ暗な中で、水道もトイレも使えない状態は免れるはずである。
真っ暗なのは停電だけ?ではなく、様々なところで心が暗くなってしまうニュースが多く報じられている。日本の豪雨もしかり、中国の香港への強引な支配。東シナ海での中国による不法占拠、インドと中国との国境での戦闘、ソビエトの法律改正にかかる国民投票の結果、などなど、権力者、独裁者による強権の行使はこれからも続くのだろうか。心が限りなく暗くなる事態である。
その国の制度や法律について他国からあれこれ言うのは内政干渉だというなら、人としての権利、生存権や自由に発言する権利など、人としての権利にかかわる問題は内政干渉では断じてない。
日本は自由にモノが言えて、移動も自由で、どこかの国と隣接しているわけでもなく、都市封鎖も体験せずにある意味のんびり構えているような気がしてならない。
コロナ禍に乗じてなのか、コロナ禍をカモフラージュにしてなのかわからないが、少しづつ世界は良からぬ方向に行きつつあるように思えてならない。気が付いて時には遅かったとならないように願うばかり。
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私たちの仕事は、在宅ワークのような形態はとれません。真逆の密着状態を作っていく仕事です。その意味で大いなるリスクを負っての毎日です。これからもその状態は続きます。第2波、第3波の襲来に備えなければなりませんし、同時期にインフルエンザの流行が来たら・・にも要警戒ですし、症状が同じようならますます混乱して大変に!! コロナウィルスとの共存は断じてできません。断固排除しなければなりません!!
国の、そして県の緊急事態は解除されましたが、まだ他県をまたいでの移動は自粛状態ですので、全国の代表者が集まっての会議や、職員の研修、全国大会などの開催も中止や延期が続きます。
そんな中で、私たちが所属する、生産活動・就労支援部会の各地区の代表者会議(私は関東地区2名の代表者のうちの一人です)を、Web会議でということになり、昨日、接続テストを行いました。 「人生における初めての体験」なのです。正直に言えば、この年になってこんな経験をするなんて! という気持ちです。一人では荷が重く、設定やら操作方法やらを、事務職員に助っ人してもらいながら、何とかテスト終了。在宅ワーク、Web会議、これからの新しい暮らしには欠かせないものになるのだろうと実感しています。
コロナ禍で少し前倒し気味でスタートですが、やってみてなかなか良い方法で、いろいろ利用できそうで、面白いものでした。けれどやっぱり一堂に会して顔を合わせて、お互いの体温や呼吸も感じながらの会議がよいと思いました。
トラットリア・アグレステも長い間テイクアウトのみでしたが、6月2日(火)から営業です、しばらくはテイクアウトも行います。閉店中、利用者は(4月からの新人さんも含めて)様々な場面での接客トレーニングや庭の手入れや清掃トレーニングを行っています。
6月からは苑の利用者も近くのお店だけですが、買い物にも行けます。近くの公園でのキャッチボール程度は大丈夫と思います。
苑やグループホームの人たちも多少の逸脱はありましたが、よく我慢してくれていました。でもまだまだ気が抜けません。手洗い、うがい、マスクそして人との距離に十分留意して、いましばらくは我慢の生活です。
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石岡市の飲食店では、#石岡エール飯 キャンペーン実施中でトラットリア・アグレステもメンバー入りしている。ステイホームで食事作りが負担になって来た時、外食出来たらいいのにと思った時には是非検索を。そして、市内の飲食店の応援団になってほしい。
たぶん、連休明けになっても緊急事態宣言の解除はないだろうと思われ、まだまだ我慢の時間は続くに違いない。が、ここで折れてしまっては元も子もなくなってしまうということは目に見えている。ほんの少しの気の緩みが感染者の増加につながっているのだから。私ぐらいは、ほんの少しぐらいなら・・・が多くの人たちの命を奪うことにつながってしまう。自分だけではない。大事な人たち、かけがえのない人たちの命を損なう行為になってしまう。
全ての日本人は、「よその人に迷惑をかけてはいけません」「礼儀正しくしなければいけません」と言われて育って来たのではなかったか。
この状況がどれほど続くことになるのかは解からないが、短時間で終息するとは思えず、長引けば様々な企業でのリストラや倒産などが出てくることが予測され、就業中の人たちにも影響が出てくることも考えなければならない。
すでに市内の一企業がリストラに入り始めており、障碍者雇用も例外とはならず、6月末で退職しなければならない人が出てきている。しばらくは失業保険の受給になるが、その後の回復状況によっては、再就職が難しくなるやもしれず、心配ではある。
日本全体の求人が激減する状況になってしまいそう。
不安は消えないが、ともかく今は、外出自粛、家に居ましょう。そしてコロナウイルスと戦って勝利すること。一日も早い終息を願って。それは私たち一人一人の確かな認識と行動によってもたらされるものなのだということを肝に銘じて。
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苑もお花見や家族会は中止。職員会議も今月は中止。その他の外の会合、会議もすべて中止のメールが入っている。苑利用者も買い物外食、散髪等、外に行くことはすべてストップしている。外食もできないので、テイクアウトできるものを職員が取りに行ってささやかな満足を得ているような状況。買い物も職員が代行。職員は利用者個々の好みに合わせて買い物をしている。例えばハンカチ。ディズニーが好きな人、プーさんのものがお気に入り。ムーミンが欲しい。ピンク色が好き。などなど職員は一人一人の好みをよく知っている。
外部の方のショートステイや、施設見学に来苑を希望される方々についても、この時期はお断りせざるを得ない。苑を訪問される業者等の方々に対しても検温と手指の消毒をお願いしているが、この状況が続けば、マスクも消毒液も底をつく状態である。
ともかく、感染を防ぐこと、万一感染者が出たときには、広がりを最小限に止めることを第一に、日々を過ごしている。
幸いにと言うか、苑では介護が必要な人はいないので、密着の度合いは少し違うとは思うが、集団、共同生活であることに変わりはなく、一人が感染すれば全員にそれは及んでしまう。今週からは学校の新学期が始まる。子供たちからの感染が親である職員に及ばないことを願うばかり。
国も一か月間程度の緊急事態宣言を出す準備をしているとのこと。それによって交通機関や企業の動きも変わってくると思われ、グループホームの人たちにも外出禁止を励行してもらわないといけなくなる。たぶん、どこまでなら出てもよいか、その都度ごとに話をしなければならなくなると思われ、仮に一か月間の緊急事態宣言となると、東日本地震の時の鉄道の不通機関と同じになり、その間の生活リズムの乱れも気になるところである。
とにもかくにも、皆が無事に、元気に、、この戦いを乗り切ってほしいと願うのみ。
もし仮に感染者が出た時の、クリーンゾーンと汚染ゾーンの区分方法についても、リーダー会議時に打ち合わせたところではあるが。
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我々に関連するものでも、研修会や会議、会食会合、施設間の交流、見学など、軒並み中止、延期になっている。わが法人の3月に行う理事会等も、今回は書面の送付、返送で実施することにしたところである。
しろがね苑は、買い物、外食等の外出は禁止、通院もできる限り控えて、定時藥の処方箋などについては看護師や職員が代行して病院に行くようにし、できる限り外出を控え、朝夕に体温を測定し(職員も含めて)、マスク着用は当然のこと、作業や通勤から帰苑した時には必ずうがい、手洗いを行うようにしている。通勤者にはアルコール消毒用のティッシュを持参させて、電車やバスの手すり等に触れた時には使うように話している。入所者の家族、兄弟等の面会や、一緒の外出もご遠慮いただいている。書類の受け渡し等も玄関先で。外来の方々に関しては、受付に消毒用アルコール、ティシュ等を備えての対応。
集団生活なので、換気も怠らずに・・。これで万全とは言えないが、考え得る範囲での手立ては実行。時に、38度台の熱が出た人利した人については、隔離できる部屋を使って、経過観察。これまで3人ほど出ているが、3日以内には皆平熱に戻っている。
今や、世界各国にウイルスは広まってしまっている。世界がこれほどに狭くなったということだろうか。だがかつても世界中に流行した感染症は存在する。古くはペストや天然痘などだろうか。
私が幼いころに初めて聞いたのは「スペイン風邪」1918~1919年にかけて世界的に流行したインフルエンザのようである。この病気の流行源は不明だそうで、感染情報がでたのがスペインからだったために「スペイン風邪」と呼ばれているのだとか。世界中で5,000~1億以上の人たちが亡くなっており、パンデミック指数は最上のカテゴリー5とされる。当時は第一次世界大戦中だったのだだが、この流行で戦争が短くなった(男性兵士がいなくなったため)とも言われるとか。
日本でいえば大正時代、私の母方の祖父、長谷川弘聲はこのスペイン風邪で亡くなっている。大正3年のこと。スペイン風邪は私の家族の中ではよく語られていた事項なのである。
生きていたら、私にとってどんな存在の爺じになっていただろうか。
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本来、日中と夜間に分けられたのは、どのようなサービスの組み合わせを選択して日々を、一週間を、一か月を過ごすのかは、本人、あるいは家族、または計画相談専門員との相談の中で、当人に最も適した支援を受けられるようにするためのもののはずであった。だが、実際にスタートしてみると、様々な部分で不都合な事例が上がってきたのである。例えば、就職して自宅に帰り、自宅から企業に通勤していたのだが、家族の支援がうけられない状況になったため、夜間は施設での短期入所、日中は企業に通うという形を申請したが、日中も福祉サービスを受けていなければ短期入所は使えないとの返答。担当市が言うには、グループホーム入居だとのこと。すぐにグループホームが、それも職場に通える範囲に存在するなら何も問題はないが、現実にそのようなホームはない。ならどうするのか。答えはなく、短期入所は使えないとの返答のみ。一年近く施設から企業に通勤、その間は短期入所費用は全く徴収できず、本人からは食費等の実費のみを請求。その後新設した白銀会のグループホームに入居した。今もホームから企業に通っている。
もう一つ、施設入所と企業就労の組み合わせについて。就職したら施設は出なければならないのだと言う。就職した時期は企業と本人とが雇用契約を結んだ時だと言う。トライアル雇用の期間も猶予はないのか(トライアル雇用時は3か月間の雇用契約あり)、6か月間の就労移行支援事業所でのフォローアップ期間をどうとらえたらいいのか(移行支援事業所職員が支援にあたる)。
ある市は、在宅で企業に就労している人の施設入所(生活訓練)と、日中の企業就労の組み合わせを了解している。本人に、グループホームで暮らすだけの生活スキルが身についておらず、しばらく施設での訓練が必要であるとの判断からである。
もう一つの市では、短期入所に切り替えての支援を了解、が、期限あり。期限を過ぎたら退所。障害児施設に入所していた人である。家族の支援は最初から困難。グループホームの整備ができるまでとお願いするも、不可。
そもそも、夜間支援と日中支援を分けたのは何処の誰?で、企業就労者が入所施設利用は不可としているのは何故? 日中と夜間と分けられているのであれば 、日中は企業就労で、夜間の支援は入所施設、という組み合わせがあって当然と考えているのだが、それぞれの市町村によって全くその対処は違ってきている。それによって不利益をこうむるのはいったい誰?
就職したら入所施設はすぐに出ていかなければならないのであれば、入所施設からの就労者は出せなくなるのではなかろうか。グループホーム整備にしても社福の施設が行っているのが現状。
私たちの施設では、先ず、企業就労の定着を目指して6ケ月から1年をかけてグループホームの体験などを繰り返したうえで、仕事と暮らしを整えて行っている。特にグループホームのメンバーの選定や、世話人とメンバーの相性なども大事にしなければならない
本当に、県や市町村の担当者は、知的ハンディキャップのある人たちが、雇用契約を締結した時点で入所施設を出て、すぐに仕事と暮らしを両立させていくことができると思っているのだろうか。
自宅から通勤している人たちも、家庭の支援(夜間や休日)があるから就労が可能なわけで、ご両親が高齢になれば家庭の支援は失われていくのは必定で、どこかで何らかの仕組みで支えなければならなくなるのである。
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散歩用のリードの付け替えの時に利用者が戸惑ったり、しっかり付け替えしていなかったりすると、時にどこかにお出かけしてしまう。2~3度ほどあったが、いつも次の日の朝には帰ってきている。
苑のメンバーも「タロウ居なくなっちゃったね、まだ戻ってこないね」「何処行ったのかな」の会話がしきり。
今回も、朝には戻るだろうと思っていたが、2日たっても戻らない。動物保護センター、市役所等に連絡して探さなければと思っていた3日目の朝、我が家の猫や犬がいつもお世話になっていて、タロウも受診したことがある動物病院の獣医さんから、私の自宅に電話があり、タロウを保護してくれていると言う。動物病院に行ってみると、タロウである。
獣医さんのご自宅は苑の住所と同じ鹿の子。獣医さんが飼い犬の散歩中に、タロウが後をついていったそうである。そこでご飯を頂いて、獣医さんがタロウに触れても大人しかったそうである。ごはん食べさせてもらったらそうかもしれないね。
ご近所の方に、タロウを見たことがあるか尋ねると、何人か一緒に夕方に散歩しているのを見ていた方がいて、苑の太郎だとわかって、朝の電話、獣医さんから「長谷川さん、タロウは・・」「いなくなっています。2日まえに・・」「首輪に赤いハートマークが・・」「それです! タロウです!ありがとうございます!迎えに行きます。」「リードをお持ちください」「はい!!」
動物病院に行く。ケージから出てきたのはタロウ。猛烈な勢いで外に向かおうとしている。苑に連れて帰ると、タロウの家の前にながなが、のびのびで寝ている。
タロウが苑に来たのは、推定3歳、男の子でもあって、手術はしていない。獣医さんのアドバイスによれば、タロウの年齢でも去勢手術はできること、手術をすることで行動範囲は小さくなり、遠出して何日も帰らなくなるような事態は少なくなるだろうとのこと。
今回は運良く近くの人に保護されたけれど、遠くに行ってしまってタロウ自身も帰れなくなってしまうことも出てくるかもしれず、獣医さんのアドバイスに従うことにしよう。
この事件後は、首輪に連絡先をつけることにして、散歩のときのリードの着脱は必ず職員が行うようにお願いしたところである。
タロウは時々、哲学者のような表情で、遥か遠くに視線を向けて座っていることがある。
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ですが、2月7日には、アグレステの建築にかかわっていただいた方々にお集まりをいただいて、その後の経過や、当時の思い出など、そして感謝のの気持ちを伝えることができました。
想いを形にしていくには様々な分野の様々な方々の支援、協力が欠かせません。その意味では、アグレステ建築チームは素晴らしいチームだと思っています。私の思いを見事に形にしてくれただけでなく、そこに漂う雰囲気、空気もイメージ通りに作ってくれました。
2月15、16日は、愛犬の撮影会を行いました。カメラマンは他ならないワンコの撮影に関しては第一人者である、杉本奈々重さんに来ていただきました。アグレステに飾ってある3枚のボクサー犬の写真の撮影と制作をお願いした方です。
2日間に撮影させていただいたワンちゃんの写真は、3月にアグレステの店内で、写真展として皆さんに見ていただく予定です。とても凛々しく、美しく、あるいは可愛く、またはお茶目に、それぞれのワンちゃんの特徴がよく出ていて、さすがに杉本先生!!です。是非、お店にいらしてみていただきたいと思います。
写真展の日程については、アグレステのホームページに掲載いたしますので、ご確認ください。
2月29日には、いつものメンバーのジャズコンサートも予定しております。ホームページでお知らせもしております。
今、アグレステで働くメンバーは、開店当初の人たちが就職してアグレステを卒業した人たちの後に入ってきた人たちです。そして今年の4月には、特別支援学校の卒業生等も新たにメンバーに加わります。5年を経ての少し表情が変わってきたアグレステを味わいに再度、いらしていただきたいと思っています。
さらに、5月には、清水健一氏によるワインに関するレクチャーと、ワインの飲み比べ、例えば若いワインと熟成されたワインとの違い、無名の産地のものと、ボルドーのような有名産地のワインとの差、コンビニで手に入る安価なワインと極めて高級なワインとの違いはどんなものなのか、飲み比べてみる一日を予定しています。ワイン好きにはたまらない時間になると思います。
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一年の時間が過ぎるのがとても速く感じられるのですが、それは私だけのことなのでしょうか。また一年が終わってしまった!という感じです。
台風15号によって、たいようの屋根が壊れましたが、12月初めにはすべての修理が完了しました。地元の工務店さんの努力のおかげです。ありがとうございました。
その他に大きな事故もなく、苑、銀の笛、ワークセンター、アグレステ、そしてグループホーム、たいようの利用者の面々も元気に年の終わりを迎えることができました。感謝です。
そして、農業に関しては、JGAPの認証を取得することができました。新たなスタートと思っています。
先日の新聞に載っていた記事によると、年越しの時の除夜の鐘がうるさいとの苦情があって、除夜の鐘を打たないことにしたお寺も出てきたそうです。百八つの鐘には意味があり、一年の節目でもあると思うのですが、それをうるさい音としてしか聞けない人達というのはどのような方々なのかわかりませんが、たぶんお正月の意味もそれぞれの節気のことも、様々に行われる季節ごとの行事や慣わしについても考えてもいないし、全く関心がないのだろうと思います。が、何やらひどく空しい思いもします。
日本には二十四節気というのがあって、冬至や夏至,立春などその時々の季節をあらわしています。それらはたぶん日本の四季とつながっているような気がします。
今年も様々な場所で、いろいろな方々にお会いしました。そしてお世話になりました。心からの感謝です。
ともあれ、心穏やかに、除夜の鐘をききながら新年を迎えたいと思います。皆様も、どうぞ、良いお年をお迎えください。
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苑に来た当時は、勝手のわからない空間になれるまでは介助を要する状況だったが、今は、だいぶ慣れてきて、部屋から居間への移動は可能になり、トイレにも自分で行くことができる。歩行もしっかりしてきているのだが、食堂の椅子に座る、椅子から立ち上がるなどの時は周囲の援助が必要である。もちろん、皆と一緒に食堂に行って、トレーを持ってテーブルに着くことはできない。下膳時も同じ。食堂への移動時はだれか、主に職員だが、一緒にいて見守りが必要。食事も職員が運んできている。食事を摂るテーブルの位置は長テーブルの一番端っこで少し広めにスペースが取れるところ。そこはいつもMさんが使っていたところだが、Mさんにお願いして、ショートステイの人の斜め前に移動してもらった。従って、Mさんは3食とも一緒のテーブルで目の不自由なショートステイのお姉さんと食事をすることになった。Mさんは、ダウン症の、重度と言われる知的ハンディのある人。こちらから話しかければ返事は返してくれる人だけれど、あまりお喋りではない人。そして、ダウン症の特徴とも言える愛らしさを持っている人である。
Mさんは、斜め向かいに座っているショートステイのお姉さまの介助をしてくれている。私が目にするのは昼食時。私はMさんの隣の隣の席で食事を摂る。ショートステイのお姉さんの杖がMさんの座席の後ろに置かれているのが見える。Mさんは、ショートステイのお姉さんが食事を終えたのを見て、後ろにある杖を持ちお姉さんに手渡す。ショートステイのお姉さんがゆっくりと移動するのを見届けたら、自分のトレーにお姉さんの食器を載せて、一緒に下膳する。その間全く言葉はないのだが、ずっとずっと以前から決められていたかのように静かにゆっくりと、毎回同じように時が流れ、動いていく。それはとても美しい光景である。スローモーションの画像を見ているようにスムーズにゆっくりと動いていて、自然体そのものである。お世話をしているとか、やってあげているとか、そんな空気はみじんもなく、極々自然に、しかも絶妙のタイミング(のように私には見える)で行われるのである。
Mさんの行動を見ていると、人が持つ当たり前の優しさとか思いやりのその原点を教えられているように思える。
Mさんの、ショートステイのお姉さんへの支援は、今日、19日の昼ご飯で終わりになる。ショートステイのお姉さんは、今日の午後、別の施設への入所が決まって、苑からはさようならになる。苑に来た時よりはずっと元気になられて、歩行もしっかりしてきている。どうぞお元気で!
Mさんも、本当にありがとう!
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国や国の出先機関、独立行政法人、県、その出先、市町村は優先的に障害者施設等から物品等を調達するよう努める責務を負うものとされ、対する施設側は、購入先に対して物品等に対する情報の提供を行い、その物品等の質の向上と供給の円滑化に努めるとされている法律である。
優先調達法の成立後、各県において、共同受注センター等が設置されて、官公需や企業からの受注窓口として一元化されてきた経緯もある。が、法が施行されて6年になるが、遅々として進んでいないという印象を受ける。特に、役務に関するものは、印刷に関するもの、物品は事務用品や書籍が主になっていて、知的障害者施設等には降りてこないし、調達額も減っているところも見られる。
その様な状況を受けて、厚生労働省障害保健福祉部障害福祉課が主体となり、各省庁の担当者と、各県受注センター、施設とのあいだでの、「障害者優先調達情報交換会」が、10月28日の午後、厚労省の講堂で行われた。
参加省庁は、宮内庁、公取委、警察庁等12の省庁。全ての省庁と面談することはできなかったが、農水省、文科省、総務省、国交省
厚労省等とは面談し、どのような仕組みなのか、どのような役務が可能化等について聞くことが出来た。
厚労省としては、このような情報交換会を、県単位で、市町村単位で開催することを目論んでいるようである。各県には国の出先機関などが多くあり、県の出先機関は各市町村にも存在する。それぞれの出先機関や各市町村の発注窓口の担当者と直接話す機会があれば、私たちの施設が、どの程度の力量を持ち、どの程度までの仕事ができるのかを知ってもらえる良い機会だと思う。また、発注者側が考えている分野以外にも、受けられる仕事があることを知ってもらえる良い機会でもある。
ただ、文科省などは、自分の所ではなく、全て財務局を通しての入札、発注になるとのこと。ちょっと面倒な感あり。だが、地方はどうなのか。知っておきたいと思う。
その為にも、茨城でも、県、そして各市町村ごとに、情報交換会を行ってほしいと思っているし、開催に向けた働きかけを行っていく必要があると思う。
この日、茨城県共同受発注センターの担当者の方も参加しておられて、ごあいさつした。何とその日が初対面だった!!
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修繕費用についても、保険会社がほぼ全額保証してくれる見通し。県にも災害復旧補助金に関する協議書を提出。たぶんこれで、修繕費用については目途が付いたように思う。後は修理完了を待つだけ。ほぼ1か月はかかりそう。
寒い季節が来る前何とかなりそうなので一安心。
千葉も強風と停電で大変な思いでいただろうと思う。その千葉に、明日と明後日、障害者就業・生活支援センター「かい」のメンバーと一緒に一泊旅行。白浜に宿泊予定。以前からの計画で、現地に問い合わせたところ、大丈夫とのことなので、予定通りいくこととする。
]]>台風は東京湾に上陸して千葉市から水戸を通り、海に抜けて行った。その通り道に鹿嶋市鉾田市があり、鉾田市の海沿いにある我が法人の施設「たいよう」が、建物の裏側の屋根を飛ばされてしまい、そこから思い切り雨が吹き込んで浸水し、照明器具も被害を受けている。
10日にたいように行ってみると、惨憺たる状況。屋根の半分近くがはがれ飛んでいて、断熱材もぐしょ濡れ、天井のいたるところに雨染み、壁紙もはがれて浮いている有様。はがれた屋根材が飛んで、隣の畑のビニールハウスを破壊。
屋根は全面的に修繕しなければならず、天井も張り替え、壁も修復が必要。早速に地元の工務店さんに連絡して今後の対処をお願いする。幸いに、はがれた屋根などの廃棄物は市役所で引き取ってくれるとのこと。少しホッとする。
そして、修繕費用の見積もりを工務店にお願いした。早速保険会社に調査を依頼し、県にも問い合わせをする。修繕費用も結構掛かりそうなので、保険会社の保証と、県から少し災害に関する支援が得られればと思う。
ともかく、利用者が通えるようにしなければならないので、建物の半分の部分を使って作業をすることにした、幸いにクーラー都下の電気機器は使えており、パソコンも無事である。請け負っていた商品の一部も水に浸かったが、企業さんからは賠償とかの話は無く、ありがたい事だった。
今は、利用者も通えていて、仕事も出来ているので心底ほっとする思いである。災害はいつどんな形で私たちの暮らしに影響を与えてくるのかは解らないが、どんな状況になったとしても、その後の処理は出来るだけ迅速でなければならない。今回は人的被害が全くなかったことも嬉しい限りである。
ともあれ、10月に入れば、屋根の修理が始まる。千葉の状況もとても気がかり。皆さんの所はご無事に過ぎたでしょぅか。
自然災害なので致し方ないとは言え、本当に気持ちが折れてしまいそう。
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全国大会、物産展は、5,6日だが、明日から準備を始めるために、先発する予定。今回も残念ながら、イベント場所が仙台駅構内の広場の為、火の使用が出来ず、現地で調理しての飲食物は販売できない。白銀ファームの野菜を販売することとした。
野菜も今年は天候が安定せず、物によっては収穫減、品質不良といった現象が起きている。特に露地栽培を行っている、当農場にとっては影響が大きい。
職員研修では、一日目は北海道江差町の江差福祉会による、平均工賃70,000円の実績に関するお話と、農林水産省の方からの、農業と福祉の連携に関する講和。2日目は「デザイン」の視点を取り入れた就労支援のテーマでのシンポジウム。
白銀会は、店舗のデザインについて話す予定である。トラットリア・アグレステの店舗はどのような発想で、どのような目的をもって設計、デザインしてきたのか、どのような形、人々をイメージして創ったのか、などについて、設計者とともに発表をする予定である。
他にも、商品開発の中で、そのデザインをどう変え、どうブラッシュアップして行ったのか、などについて、3つの施設が発表する予定である。
トラットリア・アグレステは、最初のイメージ、目標から外れることなく動いているように思う。最近特に感じることは、フロアーで接客するメンバーが、自信に満ちた表情や動き方で、見事な接客が出来るようになっていること。そしてレジでの会計業務もこなせるようになっていること。この人たちももうすぐアグレステを卒業して企業へと移っていくのだろう。それがアグレステの役割でもある。
利用者もまたお店のデザインの一部であり、大切な存在で、今の人たちの後に続く人たちもアグレステに似合う顏になっていくのだろうと思う。そういう意味で、店舗のデザインは大事なものだと思っている。
明日から仙台へ。利用者のSさんも一緒に仙台入り。
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私の所も、両親が住んでいた小さいほうの家が,あの時の地震で瓦が落ち、家自体も傾いてしまって、住むことが出来ない状態になってしまった。修理するか、それとも取り壊してしまうか、ずっと迷っていて、地震から5年目にやっと修理する・・建てなおしと同じようなのだが・・事に決めて家の骨格だけになるまで取り壊し、改めて建て直して、使えるものは残し、間取りも多少変えながら、私たちが住むというよりむしろ当面は飲み会の場とか、お客さんの宿泊場所に使うことにした。
キッチンを対面にしたり、テーブルも部屋のスペースに合わせてオーダーにしたりして、出来上がってみると、遠方からのお客さんが宿泊で宴会とか、ご近所の男どもが料理を持ち寄って飲み会とか、ゴルフの帰りにアグレステで食事をして泊まっていくとか、それなりに使っていただいている。今は壊さずにおいてよかったと思っている。
我が家もいずれどちらかが先にさようならをするだろうから、そうしたら小さい家に移ったほうが便利だろうと思う。
今、何度か小さい家で飲み会をしたことがある近所の方が、息子さん夫婦が帰ってくるとかで、我が家の小さい家を参考にしたいと言って、改めて大工さんと見に来たりしている。ご近所さんの家も改修を始めたようである。
震災から早や8年が過ぎたが、復興はまだ途中。元に戻ることは望めないと思うが、安堵できる日々の暮らしが戻ってくることを願うのみ。そして今年も様々な所で豪雨被害が起きており、多くの方々が辛く哀しい思いをされているはず。災害を防ぐことは不可でも、命は守らねばならない。
今週の17日(土)は白銀会の納涼祭。台風の動きがどうか、気になっているところである。
皆様も備えあれ。
]]>たぶん、参議院の、衆議院の議員さんたちは重いハンディのある人たちが議員として加わることなど想像もしなかったのだろうと思う。共生社会を創ろうと呼び掛けている政府だが、議員さんたちは「我が事」とは考えていなかったのではなかろうか。衆参両院全ての議員さんたちに、ハンディのある人々への支援技術を学んでほしいと思う。言葉を発することが困難な方々の意思をくみ取る方法を学んでほしいと思う。そうすれば、公費がどうのと言わなくて済むように思うのだが。ハンディのある人たちが特別なのではない。ハンディのある人たちを特別な存在と見る人たちが特別なのではなかろうか。普段出会っていないことが多いかもしれないが、ハンディかあることによって引き起こされる生きづらさを抱えている人たちはたくさん存在するのだ。そのことを想像だにできない人達が、議員さんたちの中には多いように思えてならない。
先日。アグレステで食事をご一緒させていただいた方のお子さんも発達障害をお持ちだとか。身体の障害の場合は外から見てすぐに解ると思うが、自閉症だとか、発達障害などはがいけんではまったくわからないために、往々にして誤解を招いてしまうことが多い。
知的ハンディキャップのある人たちも同じで、私たちも、ご本人さんに代わってご本人の特徴とかを伝えてはいるが、なかなか分かっていただけ枚事が多くある。特に、就労先の企業で、その部署の担当者が変わったりすると、本人に十分に伝えるべき内容が伝わらなかったり、自分に都合の良いように伝えていたり、本人の実態や理解力等を十分に知っていないと、うまく伝わらないだけでなく、全く意図しない事態に至ってしまったりする。
今回のお盆のお休みの日程や、グループホームに戻る時間等々、確認しなければならないことが多々出てきている。職場から直接連絡をいただける企業さんは良いが、本人が解っているはずだから、と施設などには連絡をいただけないところもあるので。
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土曜日(27日)銀座一丁目にある茨城県のアンテナショップで、石岡フェアー、石岡の産品の販売があり、見に行く。白銀ファームの茄子といんげんをJGAPの認証シールを貼っての販売。隣に石岡商業高校の生徒が、地元の農家とコラボして作ったえごまアイスの販売を女子生徒が極めて元気な声でPRしていた。土曜日のせいか、途切れることなくお客は入ってきていた。
お店の責任者の方に、アグレステのパンフレットを置かせていただくことをお願いしたところ、快く受けて下さったので、トラットリア・アグレステのパンフレットが、都内の方々の目に触れるようになる。都内からは常磐道を使えば2時間程度で来ていただくことが出来るし、電車でも東京から特急で1時間。ちょっとドライブ、ちょっと田舎まで、の感覚で茨城に来てほしい。都会とは全く違う風や匂い、空気が感じられるはず。食材も豊富だし新鮮だし、おいしいのは当たり前。
もう一つ、演歌の話。
北海道岩見沢に空知の風という社会福祉法人がある。そこの施設の一つで仕事をしている職員さんの息子さんが、演歌歌手としてデビューしたのである。彩青(りゅうせい)さん、16歳、今年4月に細川たかしに弟子入り。
彩青さんは5歳から民謡を始めて様々な大会で優勝すること数知れず。民謡のグランプリ大賞で文部科学大臣賞も受賞すると言う経歴。津軽三味線、尺八も本格的。本名「横田彩青」日本でサッカーワールドカップが開催された年に生まれたので、その時の日本ティームのユニフォーム「サムライブルー」から、彩青の名になったとお父さんから聞いている。まだ小学生の時の彼の民謡を聴いているが今も変わらずに、のびやかで素直でまっすぐに届く歌声である。デビュー曲は「銀次郎旅がらす」日本コロンビアからCDが6月の末にはすでに販売されているので、16歳のこれから有望な若い演歌歌手を是非応援していただきたい。PRパンフの写真も、かなりのイケメンである。
CDが発売になってまもなく、細川たかしが出ていたNHKの歌番組に、細川たかしが歌う場面で三味線を弾く彩青くんが映し出されていた。
彩青くんが歌う『ながれもんです!!』のセリフが入った「銀次郎旅がらす」をどうぞよろしく。
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4月17日から25日の間、北イタリアを旅行する。メインは、ボルツァーノという町からドロミテ渓谷に行くこと、まだ雪が残り、8月のシーズンまではまだ時間があり、渓谷のホテルもまだオープンしていない。雄大で険峻で、でもどこか優しいドロミテの雪山は、晴天に映えてまぶしく美しい。シーズンには多くのトレッキングを楽しむ人たちで賑わうというがいまはOFFで静か。そして空の青が深く見える。そして北イタリアは花の季節でもあった。ドロミテからの帰り道の小さな町の協会の庭は満開の桜の並木があった。牧師さんが作った庭だそうだ。ミラノの街中には木の枝に直接、薄紫色の花をつけている木があちこちで見られるのだが、その花をつけた木は、「ユダの木」と呼ばれている。そう、あのキリストを売ったユダの木。
最後の晩餐の絵も、予約なしでは無理ということだったが、幸運にも5時台の時間で入場できて、きれいに修復された最後の晩餐と対面することが出来た。ミラノは午後7時過ぎが日没なので5時はまだまだ昼間なのだ。
北イタリアはどこを移動していても、平地はもとより、山の斜面もブドウ畑。ワインの宝庫だとわかる。都市間の移動を、特急列車,「italotreno」(イタロ)を利用したが、その車窓からもブドウ畑の連なり。
今度は、ワイナリー巡りで尋ねてみたいと思う。小さなワイナリーらしき建物が点在していた。
4月末、かねてから準備を進めていたJGAPの審査が通り、認証が得られた。品目は、こまつな、さやいんげん、さやえんどう、なす、ほうれんそう、みずな。
認証を受けたのは、株式会社白銀ファームで、農産物の取り扱い施設が、しろがね苑となる。これで白銀ファームの商品としてJGAPの認証シールを貼って販売できることになる。9月5、6日仙台駅構内を使用しての、全国生産活動・就労支援部会の物産展が開かれる。その時にはJGAPの認証シールと、ノウフクの会員シールを使用して販売したいと思っている。
勿論それだけでなく、直売所やスーパーなどの販売網を広げていきたいと思う。
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水仙が揺れて、木瓜の紅い花が咲き、椿も・・まさに春爛漫です。花粉症の方々にはお気の毒ですが。
4月は私たちの業界も新年度。新人職員や新しい利用者を迎える時です。今年の4月は石岡市内に新たに特別支援学校が開校します。少子化の波の中で、ハンディのある子どもさんは増えているというのも不思議な気がします。
そのせいか、石岡市内にも障害福祉サービス事業所が増えてきているようです。
「たいよう」がある鉾田市内でも新たな事業所が出来て、送迎はドアツードアで、朝ごはんも無料で提供し、ご丁寧にお洗濯も事業所でやってくれると言う、至れり尽くせりのサービスを提供しているそうです。それでハンディのある人たちが育っていくのかどうか、いささか疑問も持ちます。事業所によっては、高額の工賃を約束してしまっていて、とても大変だと言うような話も聞かれます。工賃は高い方が良いとは思いますが、工賃だけではないはずです。利用者一人一人の成長とか、社会的なトレーニングとか、家族支援も含めた環境作りといったことも、大切なことだと思います。
1月にスタートした特例子会社の「カスミみらい」に就職したメンバーはおおむね順調に推移しています。交代勤務なので平日にそれぞれがお休みの時があり、少し変則的なので不安もありましたが、今のところは大丈夫のようです。
4月1日から、K社に就職が決まったNさんは、知的ハンディと精神のハンディがある人で、30代の女性。子供さんを施設に預けていて、就職して仕事が順調にいけば、子供と一緒に暮らすと言う希望を持っている方です。精神のハンディはあるものの、今はとても落ち着いて暮らせています。
苑に入ったばかりのころには、笑顔もなく、気持ちも沈みがちで、何かにつけて涙ぐんだりしていて、就職は無理かなと思われたのですが、今はとても元気になって、笑顔もたくさん見られるようになってきています。仕事はややゆったり気味ですが、確実にできていますし、教えられたことは正確にできるようになっています。が、まだ、呼ばれてすぐに返事が返ってこなかったり、次の行動を起こすのが遅かったりといつたところが見られますが、仕事をこなしながら修正が出来ればと思っています。
子どもと一緒に暮らせるように、今迄より少し辛い事も出てくるでしょうけれど、前に進んでほしいと思います。
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しろがね苑でも、予防注射を施したにも関わらず、先週末から6人がインフルエンザAに罹患してしまった。今日も7度台の熱がある人が2名いたが、インフルエンザ反応はなし。この雪で収束しそうな気配である。その意味で、いつもは厄介で、うんざりの雪なのだが、今回は良かった、良かったである。
既に今年の12分の1は過ぎてしまってはいるが、亥年の今年は、イノシシの如く猪突猛進とまでは行くまいが、少し前に進んでいきたい。
昨年からスタートしたJGAPの取得に向けた整備も大詰めを迎えており、3月22日には指定を受けるための検査が入ることになっている。多少の修正はかかるだろうが、夏までには認証を受けたいところである。既に、一般社団法人日本農福連携協議会、『ノウフク』には加入しており、ギャップの認証が受けられたら「ノウフク」日本農福連携協会のシールと、JGAPの認証シールを貼り、白銀ファームブランドで売り出せるようになる。売り場は、今回特例子会社を立ち上げた、(株)カスミの店舗。
1月24日に(株)かすみが立ち上げた特例子会社【カスミみらい】の開所式が行われて、私も出席したところである。カスミみらいの社員としては、しろがね苑から4名、ワークセンターしろがねから1名、銀の笛から1名が、当初採用の20名の社員の中に加わっている。会社設立の計画段階からお話があってのことである。今後も社員を増やして、カスミの店舗に出す野菜などの加工をカスミみらいが担っていけるようにしていきたいとの意向である。そこの関連も含めて、お店で白銀ファームの野菜を販売してはどうかというお話をいただいているのである。嬉しいお誘いで、すぐにでも・・と思うのだが、他の野菜と少し違いがあることをアピールしたいので、GAPとノウフクのシールを貼って出したいのである。
今年の夏あたりに、カスミの店舗に白銀ファームの野菜が並んだ時には、是非、是非、お買い求めを!! 安全、安心の保証は当然のこと、味にも自信あり、のもの。
2月16日(土)から18日(月)まで、全国生産活動・就労支援部会が毎年行っている物産展を、今年は、新宿西口イベント広場
で行う。場所が例年に比べて少し狭いのと、屋内でのことなので、店舗数や、内容は限られてしまうが、45店舗程度は出店の予定。トラットリア・アグレステも出店するので、新宿まで行ってみようと思われる方は、物産展でショッピングを。
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お試し一回目は1泊から。二回目は2泊3日。そして月曜日から金曜日まで・・という風に段階的にお試し期間を設けて行き、Mさんに「どうでしたか?楽しかったですか?」ときいた時のMさんの答えは、泣きながら「ぐるっとホーム(グループホームのこと)は行きたくない、しろがね苑のほうがいい」というもの。理由はなかなか聞き取れなかったのだが、どうやら個室で夜間一人だけで過ごすことが寂しくていやだと言うことと、一人で長い時間過ごすことが出来ないということと、似たような建物が近くにあり、そことグループホームの区別が出来ていないようだと言うことが解った。
Mさんは、療育手帳Aの人で、障害程度区分も5の方だったので、ウキウキ、ワクワクにはならなかったのだ。そこで、ホームのメンバーに一緒にテレビを見たり話をしたりしてもらつたり、別のホームのメンバーに一緒に帰ってもらうことにしたり、寝具をMさんの好きなキャラクターものにしたり、もろもろ試みて、月〜金はグループホームで、金曜夜からは苑で過ごすパターンで再度お試しをすることになった。それからは、泣いて嫌がる場面は無くなった。グループホームの世話人さんの名前も言えるようになり、ぐるっとホームもグループホームになっている。夕方になれば、ホームに帰る準備をし、首から懐中電灯を下げて一緒に帰ってくれるメンバーを待つことが出来ている。
今は、世話人さんがお休みの日は苑で暮らすが、世話人さんが居なくても、ホームの人たちと、または一人で過ごせるようになってほしいと思っている。
Mさんは18歳で苑に入所した。来年の一月で40歳になる。重度さんなので、日常生活部分でも声掛けや促し、直接の介助支援は必要な面もあるが、声をかけて、次に行うことへの促しがあれば支障なく行動できる。仕事は農作業にずっと従事していて、多種作業も行えていて、白銀ファームでは十分に戦力になっており、ゆっくりだが充分に成長していることが見える。
Mさんを見ていると、まさに「時間はかかるけれどみんな成長する」ことを実感する。根気よく、手抜きせずに支援を続けること、本人の力を信じること、の大切さが彼女を通して見えてくる。
実践してきた職員の支援力、たゆまぬ努力を大いに褒めてやりたいと思う。
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Good Agricultural Practice 日本語にすると、良い(適正な) 農業の 管理 となるそうである。
農業における、食品の安全や、環境の保全、労働環境の安全などを保つための生産工程管理に対する取り組みのことである。
白銀会の農業は、しろがね苑開苑以前から準備をし、施設開設当初から培ってきた作業であり、自主製品である。そしてその仕事の立ち上げには、地元の一人の農業の専門家によって、丹念に立ちあげられたものである。初代の農作業指導員は既に亡くなってしまった方だが、詳細に作業日報を記載させていた。日報を見れば昨年の今日はどんな作業をしていたか、播種や収穫、かかわった職員や利用者の人数等細かに記録されている。それを見れば、今日どんな作業をすべきかが一目でわかるものである。
初代の農作業指導員は言う。それぞれの作物が今何を欲しがっているのか、話が出来るのだと・・。出来ないのはシイタケの原木に埋め込んだシイタケ菌だけだと言う。私もその人からは様々なものを教わってきた。自然との付き合い、自然の移り変わり、土の呼吸や日照の具合、などなど。農業とは、作物を育てるとはどのようなことなのか、その人から学んだ。
農業は、自然の変化によって収穫量や製品の質等が左右されると言うマイナス面はたたあるが、全く人が管理できないわけではなく、例えば、野菜の苗を植えた時に、一本の苗からどの程度の収穫量が見込めて、全体でどの程度の期間にどのぐらいの収入になるかは見込めるはずである。市場価格に左右されるための目減り分も含めて。そして、作付等の計画によってはより効率の良い農業を目指すことは不可能ではないはずなのだ。
GAPの取得は、取得までリプロセスの中にそれらが組み込まれているのである。そのプロセスこそが大切であり、その結果が認証になるのだ。
かつてあった日報は、作業手順だけでなく、次に何を準備して、なにを考えればよいかを教えてくれていたはずである。もう一度、より良い農業の管理を取り戻したい。
食物は私たちの命を作ってくれるものである。安全、安心はもとより、その季節でしか味わえない美味しいものでなくてはいけない。
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そのお祭りに合わせて、石岡駅のバスターミナルのロータリーに、小さなお店が4店舗お目見えする。名づけて「かんばん横丁」
パン屋さん、パスタ屋さん、タコライス屋さん、焼き鳥屋さん、の順番で並ぶ。15日にはそのうちの、焼き鳥屋さん、タコライス屋さんの2店舗がオープンした。残るパン屋さん、パスタ屋さんも順次開店予定。
その中のパスタ屋、「トラットリア・グラーノ」も10月中には開店することになっている。そのお店のオーナーはアグレステでシェフをしていた人である。15日にはプレオープンで、生パスタを提供していたので、私も応援に加わって、お祭りに来た人たちにお店のPRをさせていただいた。アグレステでシェフをしていたOさん。年は若いのだが、日本料理もこなす料理の腕前は、十分に信頼できる技量の持ち主である。
お店は石岡市が、市の活性化を目指して作ったもので、市が公募し、その中から選ばれた4店舗なのである。小さなお店だが、たくさんの期待と希望が詰まっているお店なのだ。
トラットリア・グラーノも、10席程度のこじんまりとしたお店だが、ちょっとオシャレで明るい、陽気な雰囲気の店舗になると想像している。小さなお店だからこそ出来ることもたくさんあるはず。オーナーのOさんもとても明るい前向きな性格の持ち主なので、学生さん達にもきっと気に入ってくれると思う。
駅での電車の乗り降りの時、バスの時間を待つ間、或いはお友達の到着を待つ間、新しいモノが好きな女性陣、パスタだけでなく、お茶する時にも立ち寄ってみていただきたい。乞うご期待。
私もちょくちょく電車を利用するが、駅で少しの時間、くつろげるところが欲しいと思っていたところなので、軌道に乗ってくれば、たぶん夜のメニューにワインも置いてくれるのでは?と期待している。
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会社は来年、年明けの1月にオープンとなる。そこでは20人のハンディのある人たちを雇用する予定だそうで、内5人は来年の3月に特別支援学校を卒業する人達を予定し、そのほかの15人は、9月に開催される障害者の合同面接会の応募者の中から選定したいとの意向である。
会社の場所は神立駅から2kmほどの、以前カスミの店舗があったところ。仕事の中身は、最初は大根、白菜、キャベツを2等分や4等分にカットして袋詰めするなどの簡単な物からだそうである。
カスミさんは茨城県内に101の店舗を持ち、栃木、群馬など関東地域を合わせると186店舗を持つ企業さんで、従業員もパートさんアルバイトさんを含めて17,500人を数える。事業は食料品や家庭用品などを小売りするスーパーマーケット事業であり、店舗に出すために、野菜や精肉、魚、お総菜などの加工が必要になる。特例子会社はその加工部門を担うことになるのだ。
カスミさんでは、私どもの法人が関わっている方で、Mさん、Nさん、Kさんの3人が石岡店で雇用していただいている。Mさんはスーパーで働きたいとの希望だったので、カスミさんで実習をさせていただいた。最初、4時間の雇用でという話だったので、それでは送り出しできないとお断りした経緯がある。私たちとしては、もちろん本人の体力、気力も6時間を超える労働に耐えうるだけのトレーニングは積んでいるつもりだし、4時間では生活も成り立たず、社会保険の未加入の状態では雇用とは言えず、契約が終了したらそれでお終い?の状態では送り出せない。それはMさんに限らず、全ての方々も同じこと。私たちは、働くことはその人の働く権利を行使することと考えており、週30時間以上、社会保険加入、最低賃金以上、でなければ雇用ではないとの考え方で送り出している。
Mさんについても4時間の雇用であれば実習だけで終わりになるところだったが、カスミさんのほうから週30時間の雇用での提案があり、仕事に就くことになった。4時間以上での雇用はMさんが初めて。それ以後は特別支援学校卒業生も6時間雇用が実現したそうで、学校の進路指導の先生からお礼を言われたことがあった。
ハンディのある人たちが働くと言うことは、単にそこで仕事が出来て、どんな形でも雇用されれば良いのではなく、すべての国民に与えられている「働く権利」を行使することなのである。ハンディのある人たちの様々な権利を彼らに代わって主張し、守ることは私たちの大事な役割の一つだと考えている。
明日、7日には、(株)カスミみらいの会社説明会が、法人の利用者と家族を対象に、しろがね苑で行われる。
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一時期、育メンとか、育ボスとか、男性の育児参加やら家事分担とか言われていたけれど、たぶん今も家事育児の負担割合は女性の方が大きいのだろうと思う。女性の社会進出は進んできているが、重要ポストに就く女性はまだ少ない。
今日の新聞だと、現役で働く保育士よりも、潜在的保育士(資格はあるが今は働いていない)のほうが多いのだそうだ。保育士が足りないのではなく、保育の現場に取り込めていないのだ。何故?そういえば、パートの保育士さんはいない?かもしれない。
GHの世話人さんから、S君の残業の実態について相談があった。毎日残業があり、ホームに帰ってくるのが8時近くで、土曜日も午後5時まで仕事をしていて、帰ってくるとバタンキュー状態だとのこと。就業支援ワーカーが本人に確認したところ、世話人さんが心配している状況が続いているとのことであつた。
世話人さんとしては、週の内1日は定時で帰れれば少し楽になるのではないかとの意見である。S君本人は、いつまで頑張ればいいのかが解れば、頑張れるんだけど・・・。午後になると少し居眠りが出てしまうこともある。毎週土曜日じゃなく、一週おきに出勤位なら大丈夫。でも仕事が忙しいから、頼まれれば断れないし・・。とのこと。
S君の仕事は、重量のある鋳物で出来た車の部品の砂状のものを取り除く作業。部品をコンテナから持ち上げて機械に入れて振動で砂状のものを落としたあと、機械から出して残った砂状のものは振るい落してコンテナに入れるというもの。これをほぼ同じ姿勢で一日行うことは、かなりの体力を要するだろうと思われる。S君は若く体力もあり、機械を使うことも好きなので、最初からこの仕事を任されている。
だが、疲れていて居眠りしてしまって事故にでもなってしまってからでは取り返しがつかないので、就業支援ワーカーと一緒に会社を訪問し、状況を訪ねてみることにした。
S君が仕事をしている会社はとても良い企業さんである。仕事が少なくなり、景気が悪化するとどこの企業さんもリストラを考えるものだが、この企業さんは全ての従業員を守ると言って、一人のリストラも実施しなかった企業さんなのだ。だから、S君の残業も、やむを得ない状況があってのことと思う。
会社の担当の方からは、S君の部所に人を入れようと思って募集しているのだが、なかなか人が集まらない、採用しても1ケ月ぐらいで辞められてしまったこと、機械も発注しているので間もなく設置できるであろうこと、今日の午後も一人面接する予定であることなどの説明を受ける。たぶん、体力を使う仕事なので、若い人でないと無理なのかもしれないし、若い人はなかなか見つからないのかもしれない。
その状況を会社の方から本人に伝えていただきたいとお願いし、私たちもその内容を本人に伝えていくこととした。
S君の仕事を見に行くと、そこの部署の表示に、副主任としてS君の名前が掲げられていた。
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4人とも具体的で解りやすい話の内容で、質問も出ていて、初回としては満足な出来栄えだったと思う。欲を言えば、もう少し企業からの参加を期待したいところではあった。
次回は6月20日(水)、この日は実際にハンディのある人たちが働いている現場を見ていただくもの。一つは日立建機(株)の研修施設。ここでは64名が宿泊できる客室も含めた研修施設全体の清掃業務を、パートの方1人に2〜3名のハンディのある人が付いて一つのチームになり、各階ごとにお掃除を行っている。中には自閉傾向の強い人や、弱視の方もおられる。
昼食は、トラットリア・アグレステで摂っていただく。ここも当初のメンバーは就職して出て行ってしまっているが,後に続く人たちが働いているので、接客業務や厨房の補助等についても見ていただくことにしていて、直接、働いている本人とも話してほしいと思っている。
午後からは、柏原工業団地の中にある日本通信紙(株)の特例子会社であるNTK石岡ワークスを訪問、見学する。石岡ワークスの特色は、特例子会社で働くメンバーが隔離されていない事。社員の方々の隣でハンディのある石岡ワークスのメンバーが働いていること。そして何より、一人一人に合わせた仕事のスキルアップを図ってくれていることである。
何か所か、大きな企業の特例子会社を見学したことがあるが、どこの企業も程度の差こそあれ、ハンディのある人たちは、会社内ではあるが、隔離された場所で働いていた。
ある企業では、ハンディのある人たちがゆったり食事ができるようにと、わざわざ時間をずらすことまで考えておられるところもあった。一緒の時間、一緒のフロアーだから意味があるのであり、隣にいるから分かり合えるのではなかろうか。
NTK石岡ワークスの形は、私から見れば理想とするところなのである。
一日で回れるところは限られてしまうが、それぞれの職場でどのような工夫がされていて、どのような働き方をしているのかをほんの少しだが見て感じてもらうことはできるだろうと思う。
ハンディのある人たちは、働けないのではなく、働く場所と機会と環境を整備し、適切な支援を行えば、戦力になる人たちなのである。その意味で働き方改革のなかに、ハンディのある人達のことも加えて欲しいものである。
一回目よりも参加者が増えそうだと、担当から聞いている。
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Kさんと相談の結果、段差のないグループホームに移り、仕事も退職する方向で進めようということになった。
職場を休んで一週間後に、職場の上司の方に、退職したい旨を伝えた。Kさん本人も、自転車通勤が出来ないこと、職場の人たちに迷惑をかけたくないこと等を話している。
職場の上司の方からは、毎日でなくとも、週2日でも3日でも来てほしいと言う答えが返ってきた。そして、Kさんの持ち場に人を配置して、負担が少なくなるようにしたこと、もし移動や歩行に不安があるなら、座って行う仕事をしてもらえばよいことなどが提案された。Kさん本人もその言葉を聞いて、それまでは気力も少し落ちていたように見えたのだか、心なしか元気になったように見えたので、通勤の方法を考えてみて、返事をすることとして帰ってきた。
その後、支援の実施機関や職員。就業支援ワーカー等と協議するが、通勤には移動支援は使えず、仮に職員が送迎できたとして、週3日の短時間勤務に移ってしまうと、実際に退職したときの失業手当等に大きく差が出てしまう。Kさんはこの事業所に22年間務めていて、年齢は57歳になる。定年まで継続できるかどうかも少し危うい。
そこで、いったん退職して、失業手当を少しいただきながら、グループホームから継続B型事業所に通い、週3日は施設外就労としてこれまでの職場で仕事をさせていただく、という案をKさんの職場の方に提示させていただいた。
Kさんは、難しいことは良く解らないので、私に任せたいとのこと、自分としてはここしかないと思って努めてきたこと、週3日程度なら続けて働きたいことなどの意思表示があった。
それが今週の月曜日のこと。その後職場の方から、もう一度仕事の仕方や施設外就労の仕組み等について話を聞きたいとの連絡をいただき、金曜日の午後、もう一度打ち合わせることになった。
もしかしたら、企業さんとすれば、退職ではなく雇用を継続したいご意向なのかもしれない。退職では、これまでの雇用率がカウントできなくなるのだから。とも思ったりする。
地域によっては、仕事はあるが職場までの交通手段がない場合が多々ある。移動支援は通学の使用は不可とされているが、個々の実態や環境によっては、一律ではなく特例を認めてほしいと思うところである。
この企業さんは障害者雇用は拒否していたところだった。強引にトップダウンで頼み込んでKさんが入った経緯があるが、外部からの評価(障害者雇用をきちんと実施している良い企業である)は予想外に高かったようである。
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訴訟の理由は、15歳の時に、ご本人の承諾もなく、強制的に不妊手術を施されたことに対するもので、出産の機会を奪われ、人権を侵害されたことに対する国の謝罪と補償を求めたものである。
かつて制定されていた優生保護法について知っている人は少ない事と思うが、1948年に制定され、1996年にこの法律が母体保護法に改正されるまで、優生保護法の中での強制的な不妊手術の規定は生きていたのだ。
優生保護法とは・・? 優生学上での不良な遺伝のある者の出生を防止すること、妊娠、出産による母体の健康維持を目的として、優生手術や人工妊娠中絶、受胎調節などについて規定した法律で、遺伝性の疾患やハンセン病、障害者などを理由に不妊手術や中絶を認めたものである。ここにも優生思想の影響が及んでいた。
私がしろがね苑で仕事を始めて間もなくの時期、県内のある会合で耳にした話でとても驚いたことがあった。ある施設の方(事務の方かもしくは施設長と思われる)が、親が自分の娘の不妊手術を施設に依頼してくるという話をされていて、他の施設さんではどうしているのかと問いかけていたのである。今時、そんな話があるとは思えず、とても現実とも思えず、どうして? 何のこと? 噓でしょ!! としか思えなかったのだけれど、この新聞記事を読んで、あの時期、平成3、4年にはまだこの法律が生きていたのだと知った。
提訴しているこの女性も、ご自身の身に何が起きていたのか全く分からないままに大人になり、長じてから自分が不妊手術を施されていることを知ったのだろうと思う。それがどれほどに本人にとって惨いことか。彼女が生きてきた時代は、私も共に生きて時間を共有してきた者の一人である。その同じ時間を生きている者として何とも言いようがなく、辛い想いがする。
私を生んでくれた母は、結核という病の中で私を身ごもり、出産した。当時結核は死に最も近い病である。結核菌まみれで生まれた私は学齢期前には小児結核(当時は肋膜と言われたそうである)になり、一週間を優に超えて、高熱と意識の混濁が続き、父に言わせると何とか助かってほしいと思った状態だったそうである。そこで命を落としてもおかしくは無く、命があったとしてもハンディを持つことになっていた可能性は大きく、ストレプトマイシンで耳が聞こえなくなった人の話を聞くと、私も大量にストマイを投与されているそうなので、聴こえなくなっていたとしても何の不思議もなく、まさにすべては紙一重の差なのだと想えるわけで、他人事ではないのである。
今、出生前診断が可能になり、生まないという選択肢もありになっているけれど、それがどこか、かつての優生思想の亡霊のように見えてしまうのは私の思い過ごしだろうか。
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2018年、平成30年、戌年、新年が明けました。
皆様のお正月はどのようにお過ごしでしたでしょう。
年賀状には昨年生まれた新しい家族の写真、ついこの間まで4歳と思っていた子が「今年小学校入学です」との記述。ハンディのある人が「今年は就労に向かいます」の決意。時間は確実にそれぞれの人たちに訪れていて、それぞれの人生を築いている。本当に、おめでとう!!
しろがね苑、ワークセンターしろがねは今日が仕事始め。銀の笛、たいようは昨日の4日から。トラットリア・アグレステは4日から仕込み開始で5日の今日から営業、戌年なので、ドッグランにたくさんワンコが集まることを願おう。私も今日が仕事始め。また駆け足のような一年が始まる。
今年は、1月16日の障害者就業・生活支援センター「かい」の連絡調整会議時に、農水省農林水産政策研究所、企画広報室長さんをお呼びして、農業と福祉の連携と就業について、事例をあげての講義をお願いしており、農業と福祉の協働、連携について少し方策を考えてみたい。農業人口の減少を支えるだけでなく、ハンディのある人たちの働くためのスキルアップも図れるものと思う。ずっと以前から、最終的に農業に携わるのは障害者施設だろうと考えていた。農業分野でも単純労働だけで終わりたくはない。農業技術、栽培技術も身に着けられるようにし なくては意味がない、と思っている。ハンディのある人たちが農業の担い手になること、が出来ると思っている。
もう一つは、今年4月からの障害者雇用率が2,2%にアップされることに伴って、企業と福祉をつなぐパイプ役になりたいと考えている。障害者雇用は以前に比較すれば進んできているのは事実。だが、雇用後のスキルアップや人事考課のによる昇給体制、福利厚生の在り方、等々問題点は多くあると感じている。それらを前に進めるには福祉の力がひつようなのだが、企業は何処に福祉が存在するのかさえ知らないのが実態。
その解決策の一つのきっかけとして、4月から3回シリーズで企業向けのセミナーを開く準備をしている。
将来は、障害者雇用に関して、企業と福祉の橋渡しができる人や組織を作って行きたい。そしてより多くの障害者雇用の機会を作りたい。ハンディのある人たちの生きる世界を広げていきたい。あまり先のことではなく、今年中には道筋をつけられたら良いと思っている。
セミナーの日程や内容については、決定次第、後日、たぶん今月中ぐらいには、白銀会のホームページの「お知らせ」欄に掲載する予定。
7日は、成人式で今年の成人者は4名。
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平成29年度末までの経過措置だった、食事提供体制加算は現行の状態で継続されるとのことだが、加算そのものを見直すことも含めて今後も議論されるようである。
あれだけ騒がれた社会福祉法人の内部留保だが、内部留保の判断基準とされた社会福祉充実残額を算出した法人は全体の1%未満であり、前回の報酬改定で、特養の収支差率は、8,7%から1,6%に、障害分野では、9,6%から5,9%に下がっているという実態とのこと。
しかし、国の財政は相変わらず借金があり、ひっ迫していることに変わりなし。
だが、対人支援において最も大切なものは、支援にあたる職員の質である。その質を保つものは何か、その大きな要因の一つは職員処遇である。福祉の仕事の成果は短時間で、或いは明らかなかたちや日々目に見えるものとして現れるものではない。根気よく、時間をかけて、日々の細かな支援の積み重ねによって成長や実績が表れてくるのである。その仕事を丁寧に誠意を込めて実行してくれる人材が必要なのであり、必要に応じた処遇も必須の条件であろう。職員処遇は福祉サービスの質に直結するのである。そして残念ながら職員処遇は報酬改定に直結してしまうのである。
社会福祉法人の内部留保の関してもう一つ議論すべきとされた事項が、課税の問題である。12月14日に示された、平成30年の与党税制改正大綱によれば、平成29年度までずっと、公益法人等への課税については民間企業とのイコールフィッティングの観点から、見直しを検討するという記述がされていたが、平成30年度の大綱には何の記載も無いとのこと。理由は? よく解らないが、課税論議が消えたとは思えず、また次年度に再燃ということも有り得るものと思う。
平成30年度から新たに創設される事業、「就労定着支援事業」「自立生活支援事業」などの運営基準改正等に関するパブリックコメントの募集が行われている。1月10日までの期間である。人員配置、資格要件、設備、実施主体の要件等が定められるものである。私たちも出来るだけ多くの意見を提示しなければならないと思う。
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地域連携論?(働く意義・学ぶ意味)は、毎年の後期科目として開講されているもので、講師は県内の企業の社長さん達。例えば(株)カスミの取締役会長さん、水戸ヤクルト販売(株)の代表取締役社長さんなど。月に一回のペースで10人程度の方々がお話をされるもの。対象となる学生さんは2・3年生。社会に出て行く前にどのような職場がありどのように働くか、その意味や意義について学ぶもののようである。
社福で参加は私だけ。話のタイトルは「ハンディのある人たちへの支援 〜働くことを中心に〜」。何故働くのか、何のために働くのか、何を目指して働くのか、そして、働くことは自分の生活を創り、自分の人生を創ることだということ、ハンディのある人たちは働けない人ではなく、働く機会と働く場所、そして適切な支援が整えられていれば働ける人であることを伝える。私たちはハンディのある人たちが働けるように、その働く環境を整える仕事をしているのだと言うことを伝える。
学生さんたちはとても真面目に熱心に聞いてくださった。質問も出していただいて、時間が少しオーバーしてしまったのだが、少しでもハンディのある人たちのことをわかってくれたらうれしいと思う。そしていつか、企業人になった時に、そこにハンディのある人が居たら、私の話を思い起こしてほしいと思う。そして、同じ時間を生きる隣人として見ていってくれたらなお嬉しいと思う。
私としては、若い柔軟な感性を有するであろう学生さんたちにこそ、ハンディのある人もあなたたちのすぐ近くで生きているのだということを知ってほしいと思っている。あまり世の塵にまみれていない時期に、まっすぐな、曇りのない視線で彼らハンディのある人たちを見てほしいと思っている。
12月には、鹿島特別支援学校の保護者の方々にも話す機会をいただいている。事前に質問事項も届いている。鹿嶋なので、「たいよう」のPRも欠かせない。
昨日、特別支援学校の教師だった方が訪ねて見えて、たいようの開所について、また何であんなに難しい所に施設を作ったのかと仰られた。そう、企業もないし、利用者も多分限られるし、難しいのだとは思うが、その難しいところで私たち法人のノウハウを展開して、就労の道筋を作りたいと思っている。方法はあるはず。保護者の方々にはそのことも伝えたい。
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ホームページを作り始めて、そのベースとなる文章を作る段階で、ホームページの作成を依頼した会社から来ていた、2名のライターの方が書いてくれた文章が、何とも私の意図するところのものと一致しなかったために、別の方に代わっていただいて、改めて全ての文章を書き直したり、構成を変えたり、もろもろあれこれと注文を付けたためというのが時間がかかってしまった理由。
そして今日、午後3:00、社会福祉法人白銀会の新版のホームページがアップすることになった。パソコン画面でも、スマホ画面でも見られるようになる。
全体は以前のページよりずっと長いモノになっているが、電車に乗っての移動時間等を利用して見て、読んで欲しいと思っている。
白銀会の想いも伝えたいし、私たち白銀会が何をしているのかを解って欲しいと思っている。そしてその先に私たちが目指すものも、このページを通して伝えて行きたいと考えている。
ハンディのある子どもを持つお父さん、お母さん、特別支援学校の先生たち、ハンディを持つご本人、支援に当たっている職員の方たちなどは勿論、福祉と関わりのない人達にもできればみて欲しいと思っている。知的ハンディのある人たちがすぐ傍らで生きているのだということを、一人でも多くの方々に知って欲しいと思っている。
意識するしないに関わりなく、人の心にある障害者に対するバリアを取り除くための一番の早道は、障害者を知ってもらうことだと思っている。多くの方々に見ていただくために、皆さんにもいろいろな方々に、白銀会のホームページを広報、PRをしていただきたいと思っている。
今よりももっと、お互いがお互いの違いを認め合える社会を作るために。
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11月の最初の土曜日と日曜日には、「かい」の登録メンバーと一緒に京都に旅します。メンバー同士で相談して、毎年何処に行くか、何をするか決めていますが、今年は秋の京都旅行となりました。京都の秋はどんなでしょうか。
楽しみは良いのですが、どうしましょう!が一つ生じてきました。アグレステで働いている利用者さんたちが、ここにきて続けて何人も就職していきます。Sさんはレストランにきまりそうですし、Tさんは介護の初任者研修を終えて、かねてから希望だった介護施設で今実習していますので、たぶんそのまま就職になると思われます。Nさんはいくつかの企業の中から、スーパーの仕事がいいと言っており、そこも決まりそうです。もう一人のTさんも2次面接に合格して、実習の段階になっています。
アグレステの主力メンバーが皆就職してお店から居なくなってしまう事態に至ってしまいます。どうしましょう!なのです。
でもやっぱりアグレステのメンバーはしっかりと力をつけてきていた証拠です。だからみな巣立ってしまうのです。良いことで嬉しいのですが、後の人たちを育てるには少し時間が必要ですし、次のメンバーが育つまでは職員がカバーしましょうと言うことになるのですが、それも限界があります。
何と彼らの働きは大きかったのか、改めて気づかされます。巣立つのは当然です。皆それを目標に働いていたのですから。
おまけに、シェフが一人12月で辞めることになりました。これはいろいろな事情もあるようで致し方ないのですが、次の人がまだ決まっていません。どなたかご紹介くださいとお願いしたいぐらいです。そんな状況で、12月は少しお店の体制も変えて営業しなければならなくなりそうです。詳しいことはアグレステのホームページでご案内すると思います。
今後は、どうしましょう の事態を招かないように、次のメンバーをきちんと養成できる体制を作りたいと思っています。
シェフについては、いま、グルメキャリーに掲載して募集しているところですが、皆様の中でイタリア料理を手掛けてみたい方、お知り合いの方の中に、法人のレストランの趣旨を理解してくださる料理人の方おられたら、是非ぜひご紹介ください。
皆が巣立つのはこの上なく嬉しい事なのですが、今回のような事態になるといささか慌てます。
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この時、私は高校1年生でクラスごとに1枚づつのチケットが配布された。誰もが行きたい! 見たい! なので、クラス全員がジャンケンをして決めることになった。勝ち抜きジャンケンが始まる。クラスメートは45人ほど。とても勝てるはずがない・・と思ったのだが、最後、勝ってしまって、オリンピック競技を見に行くことになった。見に行ったのは国立競技場。秋空がとても綺麗で、客席からは全ての競技者が見渡せて、特に黒人のランナーが目についたのを記憶している。
そして今年、同日に衆議院選挙の公示日となった。1180人が立候補。東京都知事の小池さんが希望の党とやらを立ち上げ、そこに民進党が持参金付きでくっつく一派と、そこに入れない民進党のメンバーが立憲民主党を創った。民主主義って何だろう。選挙区では○○党の○○さんに投票し、比例区では○○党を選んだのだが、その○○党は党首、それも選ばれて間もない人が唐突に、××党に合流して、○○党を解党していまう。そこで民主主義のもっとも大切な投票という行動は無残にも何の意味も持たないものにされてしまう。こんな状況がまかり通っていいのだろうか。益々投票には行かない、一票の価値なんて無い。と思う人が増えるのは当然と思う。
今朝のテレビでは、各党の党首の第一声を報じていた。素朴な疑問として、小池都知事は希望の党党首として選挙演説をしていたが、その間の都政の業務はどうするのだろうか。代理がするのだろうか。下世話な話をすれば、都知事として都民の税金からの給料とかは、応援演説中も出されるものなのだろうか。東京都知事は、他に仕事?を兼務してもよいという規則になっているのだろうか。選挙で当選すれば何をやっても良いと言うわけではないと思うのだが、何やら傍若無人、権力を手にすれば国民や有権者等はどこかに行ってしまうようだ。
今回の選挙の争点、問われていることは何か。新聞によれば、問われるのは日本の明日であり、この国を覆う2つの不安をどう考えるかだと言う。1つは北朝鮮問題を含む日本の安全保障に関すること、もう一つが団塊の世代が75歳以上になる2025年以後の社会。生産年齢人口が減り、伴って国の歳入は減るが、社会保障費は膨らむ。どうするか。
消費税は上げていくべきと考える。そしてその使途は国の借金返済に充てていくべきである。幼児教育の無償化は一律ではなく、シングルマザーの世帯とかにきちんと手当をすればよいのでは?
この国の明日を問う選挙であるなら、真っ先に借金を返して、健全な経済状況を作らねばならないのではなかろうか。輪転機を回し続けて、お金じゃぶじゃぶの状況が健全な経済状態とはとても言えないと思う。
残念ながらこの国の明日を描けるような、希望を描けるような政党は何処にも見当たらない。票を投じたい政党がない。この国の悲劇はここにあるのかもしれない。票のためには確固たる矜持も考えもすべて捨てて平気な人たちばかり!!
]]>9月9日の日経新聞に、小さな囲み記事で・・「人づくり革命」推進室が始動・・が安倍首相と、茂木経済相の2人が推進室の看板を掲げる写真とともに掲載されていた。政府が看板政策として掲げる「人づくり改革」を担う内閣官房の人生100年時代構想推進室が、8日に本格稼働したとのこと。
その中に、安倍首相が職員に対して「どんなに貧しい家庭に育っても家庭の経済事情に左右されずに夢に向かって進める社会をつくらなければならない」述べたとあった。ならば安倍首相に更に加えて述べてほしい言葉「どんなに様々なハンディキャップがあっても,差別や偏見などに左右されずに夢に向かって進める社会をつくらなければならない」がある。
この「人づくり改革」で、人材の能力を引き上げることによつて、日本全体の生産性を高めて行くと言う狙いだそうだ。
能力という言葉は嫌いだが、一人一人の持てる力を強めていく、得意分野を強化していくことはとても大事。様々なハンディがその力をつける妨げになってはいけない。どんな人にも等しく当たり前に夢に向かうチャンスは当然与えられなければならない。
昨日、高齢・障害・求職者支援機構が開催している障害者職業生活相談員資格認定講習会で、障害者施設においての就労支援(障害者就業・聖化さ支援センターを中心に)話をさせていただいた。この講習会には4年ほど前から毎年お呼びがあり、話す機会をいただいている。今年も9月に水戸会場で、10月に水海道である。
この講習会は、障害者を5名以上雇用している企業の方々に対して職業生活相談員の資格を得ていただくためのもので、参加されている方々の中には、当法人がお世話になっている企業の方もおられる。今回もNTK石岡ワークスの米川さんが参加されておられたのでご挨拶させていただいた。
私としては様々な企業の方々に、ハンディのある人たちの得手を知っていただきたいと思っている。出来ないのではない、自分の得意を生かせる場所が見つからないだけなのだということを知ってほしい。
昨日、面接に行ったHさんは10月1日から仕事に就くことになった。親は自宅から通わせたい希望だが、本人は「苑から通って、グループホームに入って、その後はアパートで独り暮らしする」と言っている。今までは親の言いなりに動いていたけれど、これからは、自分で決める。
]]>清水氏によれば、今回のシチリアワインの中でも白ワインはなかなかのものとの好評をいただいた。心の中で私の味覚もまんざらでもないな・・とひそかに呟く。
お店の中にシチリアで撮った写真を30枚飾ると、まるでお店がシチリア島になったように思えるほど、当時がありありとよみがえってくる。そしてあの陽ざしと風と、海とそして山の土の匂いが蘇ってくる。
今回仕入れたワインの本数は限られていて、すぐに即売会などは出来ない本数ではあるが、今週末、15日当たりからアグレステで提供したいと思っている。
今回のワインは個人輸入であり、おまけにここのワイナリーが外国に出すのは初めてということで、届くまでに時間もコストもかかってしまったのだけれど、2度目はたぶん手続きもよりスムーズにいくと思えるので、また再度、輸入したい。そうすれば、アグレステでしか飲めないワインになるのだ。
9月15日から18日は石岡のお祭り。利用者も昼組、夜組とそれぞれにお祭り見物に繰り出す。何時もはそれだけのことなのだが、今年は、18日に露店を出す。茨石さんの駐車場をお借りして、パスタドーナツを作って売るのである。飲み物はビールは勿論、ワインも一緒に。値段はワンコイン程度で、儲けはなしで原価を割らなければ良しとしよう。
18日は月曜日でアグレステは定休日。アグレステの料理人と私と、苑の利用者と、一緒に「いらっしゃいませ!!」で準備中。
パスタのドーナツの中身は、一つはボロネーゼをドーナツにしてチーズを載せて焼いたもの、もう一つはカルボナーラのドーナツ。
お祭りを見に来たときには、是非ぜひお立ち寄りあれ! 場所は石岡イベント広場の向かい側の茨石さんの駐車場。ちょうど、車の進入が止められて、歩行者専用になるところ。今年は青木町が年番だそうで、御神輿が鎮座するお借り屋のすぐ近く。
石岡のお祭りは毎年雨にたたられるので、雨が降らないことを祈ってそして完売することを期待して。
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そこに大きなきのこ雲に似た人類史上初めて使われた原子爆弾が落とされた。一瞬にして人も街も破壊された。街は焼き尽くされ、河は遺体がひしめき合い、子供を抱いた母親は真っ黒になって立ったまま死んでいく。
そして8月9日、長崎にも同じ核兵器が使われ、この町もまた一瞬にして命も街も、日々の暮らしも奪われてしまつた。人類史上初めて使用された原子爆弾、核兵器。跡形もなく破壊された街に立ちつくし、茫然と涙しつつ8月15日に戦争は終わった。
その後も世界のあちこちで戦いや争いは絶えることなく繰り返されている。その犠牲となるのは子供たちや女性たち。負の連鎖は憎悪を募らせ、恨みを増し、復讐を喚起させる。そしてまた争いや戦いが起きる。連鎖を止める手段はあるのだろうか。
8月は様々な記念日に囲まれて、戦争や、核兵器や、差別や、人種、そして平和ということについて、否応なく向かい合わねばならない月である。日本は唯一の被爆国なのだが、核兵器廃絶に関しての署名を行っていない。核保有国と非核保有国の双方が入ってこなければ意味がないからという。ほんとうに? 真っ先に核廃絶に賛成する署名をどこの国よりも早くしなければならないのが、核廃絶の声をあげなければならないのが我が国、日本ではないのか。
最近、広島の原爆ドームや資料館をぉとづれる外国人(アメリカ人も含めて)が増えているそうだ。オバマ前大統領が訪問したことも影響しているのかもしれないが、広島、長崎を知ることは戦争の愚かさや悲惨さ、そして何よりも戦争が何も生み出さない不毛なものであることが解るはずである。
日本国憲法第9条 1日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。とされていて、これに伴って、戦力は保持しない、国の交戦権はこれを認めない。とされている。今私たちが成すべきことは、現憲法を改正するのではなく、世界のすべての国が同じ条文を有する国になるよう、強く強く働きかけ続けることではなかろうか。それが唯一の被爆国国民の姿勢だと思う。
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はるか日本へようこそ!! 長い長い旅。お疲れ様。今は少し休んで、9月になったら目を覚ましてくださいな!
9月には試飲会を開く予定である。一緒にシチリアに行ったシェフが創る大洲流シチリア料理と、同行したカメラウーマンの傑作写真の中から選りすぐりの写真パネル展と、そして何よりはるばると旅をして今ここに来てくれた、あの柔らかな斜面に実ったブドウからできた愛すべきワインと、シチリアの風と光とそして香りをそのままアグレステに運んでみたい。
ワインは3種類。赤2種、白1種。すべてを試飲していただきたい思っている。
日程等は、アグレステのホームページをご覧あれ。夏休み明けの虫の音がし始めるころに、夕刻から、ワイングラスを上げて、乾杯!! である。 それまでは、私も試飲はお預け、我慢の日々。
お楽しみに。
]]>今回のG7の会議はイタリアで行われていて、しかもシチリア島タオルミーナ! 一緒に行ったメンバーと、そうそうあそこのあの景色、と言い合ってしまった。
シチリアで3日目に尋ねたところ、シラク―サ。
3日目の朝はまさに嵐。風が強く吹いていて、土砂降りに近い雨と雷。そして空は真っ暗。宿舎から別棟の食堂まで土砂降りの中を走って移動する。朝食をとる建物は既に停電になつていて、燭台の灯りのみ。外は大荒れの強風だが出発する。
車中で、杉本カメラ女史が言う。「先生!(彼女は私のことを出会った時から何故か先生と呼ぶ)晴れ女の念力で何とかしてください!」晴れ女を自称してはいるが、この天気ではと思っていたのだが、車での移動中に徐々に雨は上がり、時折雲間からは晴れ間ものぞく。シラク―サの市場についた時には道路は濡れているが雨は上がっていた。晴れ女の念力は本物だったのか?
シラク―サの街に入った途端に何やらギリシャに似た雰囲気を感じさせる。建物もアーチ状の石造りの天井で、かなり古そうに見えた。街並みや広場もギリシャの雰囲気。建物の色合いも。
シラク―サの市場を散策、海に面した街なので魚が多いが、野菜もかなりたっぷりで色鮮やかでおいしそう!! 市場でチーズやサラミを売っているお店のイケメンのイタリアボーイが、私たちが日本人と知って、「ありがとう」と言いながら、チーズを挟んだパンを全員にプレゼントしてくれたのだが、これがめっぽう美味い!のである。
反対側にお魚屋があり、お父さんと息子が店に立っている。写真家の杉本女史が盛んにシャッターを切っているお目当ては息子のほう。彼女の眼にはかなりのイケメンに映っているようだ。イタリア系もあるが、ギリシャっぽさも見える眼鏡をかけたイケメンさん。
この日の訪問先は、海沿いでレストランを営む日本人女性。ご主人はイタリアの方。レストランでは日本食も提供するとか。レストランは海に面した建物の二階。すでに青空が見え始めていて、海のさざ波が光る。
店内はアーチ状に石造りの天井が広がる。ギリシャの建物のよう。日本人の女性オーナーが、この土地はギリシャ系の人たちが多く住んだところだと説明してくれた。そして今もこの建物を維持し残すために、市は条例を作って守っているそうで、古い建物を改築する時には、壊してはいけないところが決められているのでなかなか大変だそうである。古いものを修復する職人もずっと残っているとのこと。すばらしいと思った。日本では昔からの技術が徐々に減って来ていて、職人もいなくなりつつあるのに。
レストランの厨房には日本人の若い男性が働いていた。ここでも大洲シェフは厨房に入って料理をお勉強。この地は魚やエビがたっぷりで昼前だと言うのにワインが進んでいく。ワインは白。客は私たちだけ。今はシーズンオフでお休みの時なのに、私たちのために待っていてくださったのである。
カターニアの町並みは細い小さな路地もとても美しい。光と影に彩られていて石畳の細い路地から上を見上げると、バルコニーが道を隔てて手が届くところにあり、どちらも花が植えられている。映画の1シーンのようでもあり、東夷昔のギリシャの町に居るようで、不思議な感覚になる。
頑丈な鉄の扉や、ほっかりと空いた入口やらに囲まれた、その細い石畳の美しい道を歩いて、カターニアでは老舗と言われるレストランへ行く。ここでは赤ワイン。パスタは少し私には潮が強く感じられた。デザートはメニューに載っているもの全部?頼んで皆でシェアする。シャーベットがレモン味で抜群! ここでも厨房に4人がどっと押し寄せる。この店のシェフは日本のホテルで料理を作ったことがあると言う。東京ベイでだ。日本に呼んでくれたら奥方とともに来ると言うのだが。費用はこちらもちだとすると少し迷う。が、とても気さくで柔らかい人に見えた。
この国の、シチリアの人は皆とても笑顔が似合う人懐こい人達ばかりで、治安が悪いと聞いていたことがまるで嘘のよう。
日本人の、何やら年齢もばらばら、男女も混合で、何やらわけのわからない集団に、皆とても優しかった。
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平成2年にの12月に社会福祉法人白銀会が認可を受け、翌、平成3年9月1日に知的障害者授産施設しろがね苑を開苑して以来26年を経て、今は施設は5ヶ所、グループホームが13ケ所、利用者の増加は勿論だが、職員も70名近くになってきている。
少人数での組織であれば、全てに目が届き、利用者や職員一人一人が良く見えていたが、徐々にそうとばかりは言えない状況に陥りつつあるようで、今の段階で新しく人事制度を構築しておく必要があると考えていた。
昨年の6月にスタートして、職員への個別の面談、それぞれの職務の実態把握、等々を経て一年、新しい人事制度のベースが出来上がったわけで、これからは、各職員が何を目指すのか、何を今すべきなのかが「見える化」出来ると思っている。
法人の事業がしろがね苑単体だったときには、全ての職員と年に一度は直接面談して、現状の悩みや課題、そして次年度の目標について話し合うことが出来て、職員もその面談の時に話したいことを直接話すことが出来ていたのだが、今それが出来なくなっている。
一年間の自己評価をしてもらって、どれだけ自分が頑張って仕事をしているかしっかりPRしたうえでの面談だったので、私にとっても貴重な機会だった。上司と部下と言うよりは、同一事業所で同じ目的に向かって進んでいく仲間、同志のような感覚だったかもしれない。組織が大きくなることは悪い事ではないが、以前のような親密さは薄れていくように思える。
今回の人事制度を一言で表現するなら、私たちが利用者に対する個別支援計画を毎期細やかに作成してそれに基づいて支援を行っていると同様に、職員に対する個別支援計画書を職員とともに作成し、それに従って、支援スキルを磨き、知識を蓄えて、職員として、管理者としてステップアップしていく道筋を目に見える形で示す、職員の個別支援計画を創ることと言えるかもしれない。
そしてそこでは人事考課が行われて、計画に盛り込まれた目標の達成度をそれぞれにチェックしていくシステムが導入され、目標の達成度合いによって昇給や昇格、或いは給与の据え置きや降格が決められて行くことになる。それが繰り返し行われて、個々の職員がそれぞれの目標を次々に達成することが出来れば、それは紛れもなく、法人の存在価値を確実に高めて行くことになるのである。
社会福祉事業が行政処分による所謂措置の時代は、職員の給与に差をつけると、監査で差をつけないようにと指導を受けたのだ。私にはそのことがとても不合理なことに思われた。頑張った人には+、何もせずに時間だけ過ごしている人には−。当然が当然ではなかった時代があった。それでは、職員の、人のモチベーションは下がって当然ではなかろうか。
働くということは自分を高めて行くプロセスでもあるのでは? 何日経っても、何年過ぎても、変化も何もない同じ自分しか見えなかったら淋しいと思わない?
新人事制度は7月1日に運用を開始し、スタートする。人事考課者のトレーニングもこれからである。運用してみて不都合があれば修正、改良する。
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結婚したいというお相手は別の施設のグループホームに住んでいる人。これまでも二人で会社のイベントに参加したり、マラソン大会に行ったりしていることは聞いていたが、私はまだお相手の方に会ったことがない。ので、昨日、お相手の方の施設の方たちと、私どもと、当人たちが顔合わせをすることになった。
当人たちの希望は、アパートを探して一緒に住みたい。2〜3か月一緒に生活してみて、そのあとに結婚を考えたいとのこと。相手の方が言うには、今はいいところしか見えないけど、一緒に住んでみるといろいろな面が解るだろうとのこと。アパートの場所は、二人の職場の中間点にしたいのだそうな。
これまで、私たちが関わっている人たちの中で結婚した女性は2人いるが、どちらの女性もお相手の男性はハンディのない方だった。今回の二人はどちらも軽度ではあるが、知的ハンディのあるカップル。心配がないと言えば噓で、心配だらけ。二人ともに両親は既にいない。助っ人になってくれる肉親もいないに等しい。
でもとにかく進んでみよう。足りないところは私たちで補えばいいことだし、やってみてダメだったときはまた考えればいいのだ。
二人で家を探すと言うので、もしかしたら、ハンディのある人には部屋は貸せないなどと言われることもあるかも知れず、その時は相談するようにと伝える。
お相手の男性が所属する施設の方には、私が親代わりのようなものですのでよろしくお願いします、と挨拶する。
5月にはお互いの休日を調整して、アパート探しをすることになった。たぶん結婚した後とか、同棲を始めた後とかよりも、二人で住む家を探すときのほうが、ずっと心弾むときに違いないと思う。心いっぱい幸せを感じるときに違いない。
ともかくは、良かったね!!
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シチリア島2日目は、ご夫婦で経営するチーズ工房へ。牛乳ではなく、羊、山羊の乳から作るチーズ。工房の裏手には羊や山羊が育てられている。子ヤギが沢山いて、大きな声で啼いている。とてもかわいい、そしてとても清潔にされていた。チーズはそこの陽気な笑顔のお母さんと、一人の男性が一緒に作っている。サングラスをかけたがっしり体のお父さんは説明、案内役。チーズを切り分けてくれて、試食したのだが、少し塩気が多い。ワインが欲しいね・・とつぶやいたら自家製のすっきり味のワインをご馳走してくれた。お母さんと対照的にお父さんは笑顔があまりないのだが、気持ちは優しいのである。
そこのチーズ工房では、海に近いところに小さなお店を出しているので、そこもお邪魔して皆であれこれチーズを買い、夜の宴会に備える。お店がある通りの街路樹はオレンジの木で、オレンジの実がなっていた。オレンジの実は食べられそうに見えるし、たぶん食べてもいいのだろうけれど、誰も手は付けづに色づいている。道路の向かい側にはスーパーがあり、皆、興味津々で入ってみる。果物は山積みにされていてとてもおいしそう、リンゴは少し日本よりも小振り、ブラッドオレンジも山積み、そしてどれも安い。当然だがイタリア料理の食材が沢山ある・・当たり前なのだけれど、狂喜する。これも当たり前だけれど、日本で買う値段の何と高い事か。
昼食は、有名な海沿いのリゾート地のタオルミーナへ。海岸沿いからくねくねと曲がる細い道を上に上にと登って行く、細い道沿いにはレストランやカフェ、ホテルなどなどがひしめいている。展望広場から見る海はかぎりなく蒼く、波頭もなく穏やか。くねくね道を登りきったところの教会があり広場が見えるレストランのテラスで昼食。シチリアの人たちは、地元の食材やワインをとても大切にしていて、料理には地元産品をふんだんに使っている。そしてその美味しさを自慢するのだ。確かにおいしいし、食材も豊富である。同行したアグレステのシェフ、大洲さんは、この店の厨房に入れていただいて、一緒に料理をさせてもらっている。食事に行ってその場で、厨房見学をお願いしたのだか、快く笑顔で受け入れていただいた。大洲さんが入ると言うことは、通訳が一緒で、カメラマンも一緒。大人数である。大洲さんは料理もさせていただいた。
このお店のシェフはもとはフランス料理を作っていたのだとか。道理で、会計の時に「マダム」と呼びかけられたのはそのせいだと思い至る。
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コンビニやスーパーでも、お金を払って購入したもの以外に、1つ、2つと万引きする。が、一度も見咎められたり、捕まったりしたことがない。そのたびにキツイ注意を受け、職員から盗みは犯罪であり決してしてはいけないのだと言われるのだが、その時はメソメソと反省のような状況は見られるのだが、また同じことの繰り返し。
盗みが度重なり、他の利用者全員から攻められるような事態になってくると、居室の窓から無断で苑を出てしまうという行為を繰り返す。先月に出て行ってスーパーで保護されて帰ってきたときにはレターセットを万引きして所持していた。
何度も他の利用者の物を盗る行為を繰り返すと、他の利用者は離れてしまい、Kさんは一人ぼっちのような状態になっていく。それが自分の癖のせいであるということには繋がらなくて、一人ぼっちの寂しさがまた盗む行為になってしまうのだろうか。
正直な感想を言えば、養護施設から入苑してきている人たちはそれぞれに盗みだけでなく、様々に多くの課題や問題、それも反社会的行為と言われる事柄が散見される。それは何処から来るのだろう。親からの愛情を受けられなかったせいなのか。本人の資質がそうだったのか。大人から守られるという体験、実感が乏しいせいなのか。自分自身の存在を認められないでいるせいなのか。
よく解らないが、本人は自覚していないが、どこかに満たされないままの空洞があって、それが何処からくるもので、どう埋めて行けばいいのかが解らずにいるのかも知れない、とも想う。が、私にも空洞が何処から来て、どういう方法で埋めて行けるのか、皆目わからないが、人としてしてはいけないことは、外部の力を借りてでも知らしめていく必要はあると思っている。それは、何にもましてKさん自身の利益になることなのである。
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2月6日、午後2:00に成田を出発。ローマからイタリアの国内線に乗り換えてシチリア島、カターニアに23:00に到着する。
その日はカターニアのホテルに宿泊し、ホテル近くの路地(とても美しく、静かで落ち着いたたたずまい)にある店で夜中の食事を摂る。この店のマルゲリータがとても大きい。女性でもこの一枚全部食べるの?と聞くと、そうだとの答え。ほかの料理もかなりたっぷり目。
次の日メッシーニという所にあるワイナリーとオリーブオイルを製造しているアグリツーリズモを訪問。ワイナリーの主は御年82歳のおじい様。だが、広いブドウ畑を自ら案内してくださる元気な方。お商売で日本に行ったこともあるとのこと。ここのワイナリーは紀元前からブドウを栽培しているそうで、巨石をくりぬいて作られたブドウを絞る台がある。ブドウ畑はなだらかな斜面になっていて、土質はあまり良くなさそう。雨が降ったら大量に流されてしまいそうな土である。もしかしたら、ブドウの栽培以外に、作物は育たないのかもしれないと想ったりもする。が、ブドウの木は全て90cm間隔で植えられており、整然とした畝となり、人の手によって、丁寧に手入れされ、とても美しい光景が、なだらかな丘を覆うように広がっている。風もなく暖かで、シチリアの日差しがたっぷりと注がれている畑を、少し汗ばみながらゆっくりと巡る。
試飲させていただいたワインは4種。絶品は、生まれたてのワイン!発酵が済んだ直後のもの。日本酒で言えばどぶろく状態?か。ワイナリーでなければ出会えない赤ん坊のワイン。だがこれは買えない。白と赤をそれぞれ購入して夜に皆で飲むことにする。
次に行ったのは、オリーブオイルを製造しているアグリツーリズモ。工場は別の所にあるので、映像で製造過程を、お二人の共同経営者の方が説明してくださる。1つは、数種類のオリーブをミックスして作ったもの。もう一つは単一のオリーブから作るピュアなオイル。ミックスとピュアを試飲する。オイルの試飲?初体験!小さなグラスに注がれたオイルを両手で包んで少し温め、最初はそのまま飲む。次は鼻をつまんで飲むのだ。ミックスはさほど感じないが、ピュアは鼻をつまんで飲むと喉がかなりイガイガする。オリーブオイルは熱してはいけない、料理にかけて食するのだとご教示いただく。そしてそこで出していただいたお料理、例えばイワシ料理とか、ヒヨコマメのソースと焼いたタコのお料理とか、すべてにオリーブオイルをたっぷりとかけて食する。ヒュアオイルはとても綺麗なグリーンの色である。たぶんこれを日本で買おうとすると、かなり高いのだろうと想像する。
第1日目はここまでで、今日からの宿舎になるカラタビアーノというところのアグリツーリズモに。ここからは雪を冠し、白く噴煙を一筋たなびかせた、エトナ山の大きな姿が目の前にそびえるのを見ることが出来た。第2日目からの報告は次回に。
]]>他の施設では猛威を振るっていて大変な所もあり、亡くなった方も出ているとか。苑の人たちは、若さも影響しているのかもしれないが、多少熱があっても食事は摂ってくれるので、回復も早い。今は風邪ひきさんは一人もいない。皆元気に仕事をしている。
昨日の夕刻、グループホームに住むOさんが、購入した車が納品になったとのことで、車を見せに来てくれた。中古車の軽自動車だが、カーナビも付いていて、車内も広く立派である。Oさんが望んでいた車種だとのこと。良かったね!!
来週、ずっと行きたいと思っていた、イタリアのシチリア島に行く。アグレステのシェフも同行して、現地で料理をお勉強することになっている。私はワイナリーと、チーズ工房、オリーブ園等々、のぞいてみて美味しいワイン、チーズ、オリーブオイルなどなど仕入れたいと思っている。家族で営む小さなワイナリーを見たいと思っている。直接買い付けて日本に送れるといいのだけれど。
シチリアは靴の形のイタリアの先の海に浮かぶ島、靴で石を蹴っているように見える島である。そしてイタリアマフィアの島とも言われている。映画のゴッドファーザーの世界か。かつてマフィアの一員だったような、品の良い、顏に深い皺を持つおじいさんが、夕暮れの海辺で、パイプをくゆらせながら、ワインを飲んでいる、ような風景に出会えないものかと想像をたくましくしているところだ。
シチリアはイタリア料理の原点でもあるのだそうだ。海のものがとても豊富のよう。ワインもきっと魚介料理に合うに違いない。若すぎない、かと言って重た過ぎでもなく、成熟のほんの少し手前位のワインを想像してみる。青い海と空に似合うのは白か、赤かまたはロゼのような色だろうか。
ワインとチーズとオリーブオイルを仕入れてきたら、シチリア島行きの報告会をしたいと思う。シェフが学んだ料理もお披露目しなければならない。シチリアの空気と匂いと色も一緒に。
そのために来週一週間は私の勤務表がお休み印になっている。それを見て、苑の女子利用者が、「苑長は何でこんなにお休みなの」
と言ってくれた。「用事があるの」と答えた。ゴメンね、帰ってきたら「実はねー」と話すつもり。
取り敢えず、行ってまいります。
]]>今年の石岡市の成人式は8日(日)。苑では3人が新成人となり、一人は振り袖姿であでやかに。それぞれに皆いろいろ問題を抱え、本人の力だけでは解決もままならない事ばかり。でも二十歳だ!!前に進もう!!精一杯櫂を漕ぎ、大海原に出て行こう。白銀会という親船が傍からしっかりガードしているから心配はいらない。力いっぱいすすめ!
今年4月には、少し離れているが、鉾田市汲上というところに、新たに施設を立ち上げる予定でいる。法人にこの地域出身の職員がおり、白銀会の障害者就労支援のノウハウを、自身の出身地にも広めたいとの意思から。昨年土地を取得し、今、建物の改修を始めようというところである。施設名は、社会福祉法人白銀会 多機能型障害者支援施設「たいよう」。ここは旧大洋村であり、太平洋の大洋に面しており、この施設で実施しようとしている農業中心の仕事に太陽の光は不可欠のもの。なので、「たいよう」。明るく、大きく、暖かい場所にしていきたいと思う。
もう一つ、今年は社会福祉法人白銀会の組織の構築をきちんとしておきたいと思い、昨年から準備を進めてきている。法人は25年を経た。これまでは、善し悪しは別に置いておくとしても、法人の進路や経営、運営は理事長の独断で実施してきたのが実態。だとすると、理事長が変わるときには、この法人も大きく変わりかねない危惧が出てくる。法人としての考え方や理念、方針、福祉の在り方など、変えてほしくないものも変わってしまったのでは白銀会の存在価値が失われてしまう。
昨年来の法人改革を見るとき、その危惧は大きくなってきている。改正された仕組みからすると、いつでも理事長の首はすげ替え可能であり、理事長職にあったとしても、その職権は職務執行権だけである。法人の意思決定機関は理事会ではなく、評議員会にが持つ仕組みとなる。
そのこともあり、ここで、法人組織とそれに伴う各役職員の職務内容についても明確にして行って、当法人で各職員はどのような責任と役割を持ち、どのような考え方、方針、理念の基で職務を遂行するのかを明らかにしておきたいと思っている。これまで職務はあったが、職責については全てを理事長施設長が担っていたものである。これからは、それぞれの職員が、その役割に応じて責任を持ち職務について欲しいと考えている。
そして、理事長が変わった後も、この法人が目指している、実践している、障害者支援の考え方を踏襲していってほしいと思う。
大仰な言い方かもしれないが、もし、仮に、社会福祉法人白銀会における福祉の理念や実践が途絶えたとしたなら、それはハンディのある人たちが再び出口のない施設に閉じ込められてしまうように想えてならないのである。それは明らかに共生やインクルージョンの考え方から遠ざかることだと言わざるを得ない事態であろう。
私たちは、ハンディの有無に関わらず、同じ地球上の同じ街で、同じ空気や同じ光、同じ時間を共有して生きている人間という同じ種に属する仲間なのである。
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